終戦記念日が来るたびに思い出すこと:1945年8月15年に戦争は終わらなかったことについて

夏は暑い。
夏の暑さが強いほど、戦争の時代を生き抜いてくださった方々、戦場に散っていった英霊たちの辛さはこんなものではなかったんだろうなと額に汗をしながら、頬を流れる汗に涙が混じりそうになる。

今年も8月15日を迎えた。
今年も戦没者追悼式が天皇陛下をはじめとして行われたことから、やはり8月15日は「終戦記念日として受け入れよう」という気にはなる。

だが、1945年8月15日に何があり、それ以後、何があったかご存じだろうか?
「終戦」というと、何を思い浮かべるだろうか?
戦争を体験をしたことのない、われわれ世代にとって、終戦の日とは、その日で「戦争が終わった」と思ってしまうのではないだろうか。

本来、戦争というのは軍隊と軍隊が戦場で戦うため、「停戦」や「終戦」が宣言されれば、双方の軍隊は戦いをやめる。
だが、第二次世界大戦において、日本は様々な国と戦争をすると同時に「虐殺」を受けてきたのだ。
繰り返して言うが、「戦争というものは戦場において軍人同士が戦う」のであって、「軍人が戦場ではない場所で民間人を殺すことは単なる虐殺」なのである。
第二次世界大戦の後半、日本はアメリカ軍によって東京大空襲などの都市への大空襲という「民間人を対象とした大虐殺」や、広島と長崎への核爆弾による「民間人を対象とした大虐殺」が行われてきた。
そして、戦場において戦闘不能となった軍人も民間人扱いされるため、そのような民間人は戦争捕虜として敵国に送り返すのが戦争のルールだが、日本の軍人たちは戦闘不能になった途端にアメリカ軍を中心に大虐殺をされてきた。

そして、1945年8月15日には昭和天皇陛下による玉音放送によって終戦宣言が行われ、時を同じくして陸軍大臣の割腹自殺でもって全軍は世界に類を見ない形で日本軍は全軍、矛をおさめたのだ。
当時、不平等な形で日本が降伏することを軍部が受け入れず、日本軍は世界各地で徹底抗戦を続けるのではないかと思われていたが、陛下による終戦宣言と軍部のトップの日本流の自決によって、日本軍は全軍一斉に攻撃の手をおさめたのだった。

だが、1945年8月15日以降、多くの日本人にとって地獄は終わらなかった。
世界各地での日本人を対象にした略奪や虐殺の手が止まらなかったからだ。
終戦宣言のため、一切抵抗ができなくなった日本軍に対して、各国の軍隊は攻撃の手を止めなかった。
満州にいた民間人は命からがら日本へ死に物狂いで逃げ戻った。
そして多くの軍人は戦争が終わって自宅に戻ったにも関わらず、シベリアに強制労働者として送り込まれた。
これらは全て犯罪である。
このようなことが1945年8月15日を過ぎても何年も行われていたにもかかわらず、この日を終戦記念日と言えるのだろうか。
そして、各国は未だ、これらの犯罪行為について日本に謝罪していない。

かつて、軍人として戦った方から聞いた話がある。
彼の友人は特攻隊として散っていったという。
彼の友人の代わりに散るべきなのは自分だったとも言う。
そんな彼がとても重い口を開けて、こう語ってくれた。

「あいつが命をささげて守り抜いてくれた日本という今の国は、あいつが命をかけるほどの価値がある国になったとは思えない」と。

われわれは先人の思いを引き継いで生きている。
先人に顔向けできないような生き方をしてはならないと今年もお盆を迎えて改めて誓うのであった。

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