「静かな退職」という言葉をご存じだろうか?
「静かな退職」という言葉をご存じだろうか?
「静かな退職」とは、仕事に対する熱意を失い、必要最低限の業務だけを淡々とこなす働き方のことだ。
今、何らかの理由で「静かな退職」状態になっている人が急増していることが企業組織運営において問題だと叫ばれている。
もともとはアメリカで言われ始めたことだが、日本にも同様の問題が発生している。
「静かな退職」をする人が急増する理由として主に言われるのは、①高度経済成長期のようなやる気のある人が激減した、②ライフバランスの変化によって仕事よりも家庭やプライベートを重視する人が増えた、③定職の不安定化やキャリアパスの不透明さから企業への帰属意識が低下した、などだが、筆者から言わせれば、これらは全て経営者側に媚びを売った目線での理由付けだ。
一昔前から、「静かな退職」の本質の部分は存在し続けている。
日本では大企業が社会の中で大きな顔をしているが、大企業の社長や経営層はほとんど全員が「雇われ」である。
本当の意味での経営者目線で手腕を振るってきた人が経営者になることはほとんどなく、多くの企業が「雇われ社長」が社内の派閥争いの結果に社長になっている。
派閥争いの勝因の多くは、「失敗しないこと」であり、それは「挑戦しないこと」につながる。
経営とは事業リスクを取ることであり、挑戦しないことには経営は成り立たない。
取るべきリスクを取り、取るべきでないリスクは極力減らすという英断をすることが経営者には求められるのだが、「雇われ社長」の多くはそのような英断をした経験もなく、挑戦もせずに派閥抗争の駆け引きにたけてきた人たちばかりである。
そのような者たちが経営のトップに立つと、社内でリスクを取って事業を提案すること自体が単なるリスクにしかならない。
かくして、多くの企業ではリスクを取って挑戦する人はどんどん冷や飯を食わされるようになり、「言われた仕事だけを無難にうまく処理して上司にゴマをするのがうまい人」ばかりが出世するようになっている。
多くの企業では、経営のポジションに昇格する人は、経営の才覚がある人が選ばれるのではなく、大きな失敗をせずに現経営陣に可愛がられた人が選ばれているのが現状なのである。
このような企業文化が定着すると、頭の良い人ほど「静かな退職」状態となるのである。
企業組織の中で起こる問題のほとんどは、経営の問題である。
企業組織の問題が語られるとき、経営者が非難されることはほとんどなく、権力も権限も何もない末端社員がいつも非難される。
「静かな退職」をする人が増えているという問題も、「末端社員がこうだから悪い」とか、「末端社員をこうすべきだ」という問題ではなく、経営者の経営が悪いだけの問題なのである。