想像してみよう、日本の首相が突然インド人や中国人になる日を
人を人種などで差別するのは良くない。
これはわれわれが頭に叩き込まれてきた倫理観の一つであろう。
一方で、人種の区別が必要であることも頭ではわかっている。
例えば、アメリカ人が経営するレストランがあったとしよう。
そのレストランに「日本人と犬はお断り」という張り紙があったら、「なんて酷いレストランだ!」と思うのは当然だろう。
だが、「他のお客様のご迷惑になるようなことをする方はお断り」という張り紙があれば、「まぁ、それは当然だな」と思うだろう。
前者は人種差別であり、後者は一種の区別である。
この差別と区別の違いが難しい。
アメリカと言う国はもともと先住民の国であったが、後から侵略したヨーロッパの白人の国にしてしまい、あたかももともとアメリカと言う国が白人であることが当然の事のようになっている。
そのアメリカでさえ、やはり白人の国なので、白人の中から国家元首を決めていたが、近年、バラク・オバマという黒人が大統領となった。
確かに国籍としてはアメリカだし、人を人種で判断してはならず、差別はいけない。
だが、バラク・オバマが大統領であった期間、振り返れば明らかにオバマはアメリカと言う愛国心はなく、アメリカを破壊に導いた。
だからこそ、政治の世界では「差別はいけないが、区別はとても重要」なのだ。
そんな中、イギリスで一体、誰が次の首相になるのだろう?と思っていたら、突然、インド人のシリ・スーナクが首相となった。
「人種差別は良くない、イギリスに愛国心があり、イギリスを良くしてくれる政治家ならば」となるのだろうが、果たしてスーナクはオバマ化しないのだろうか。
スーナクはオバマ同様、グローバリストの奴隷のような人物である。
自らの地位にしがみつくため、グローバリストの指令の通りに自国を破壊する政策を躊躇なく行うような気がしてならない。
日本でこのようなことが起こることが想像できるだろうか。
ある日突然、新首相としてふさわしい人物としてインド人や中国人などがメディアに称賛され、いつの間にか、その者が首相となる。
そして、明らかに日本人とは違う、その者が日本を売る破壊的な政策を推し進める。
想像するに恐ろしいが、現実を振り返ってみれば、日本の国会議員の大半は本当に日本人なのだろうか。
筆者には明らかに日本人の顔には見えない政治家もちらほら散見される。
それ以上に、日本人とは思えないような日本を売るような政策を行い、日本社会を破壊するような政策をドンドン推し進める国会議員で溢れかえっている。
日本は唯、見た目がアメリカやイギリスのようになっていないだけか・・・とため息が出る今日この頃であった。