ゲームから学ぶ②:「我にひれ伏せば世界の半分を与える」という甘言を与えられたら、あなたはどうこたえるか。
ゲームは単なる遊びでしかないと思う人もいる。
しかし筆者はゲームから学ぶことも多いように思う。
小難しい専門書を読むよりも、政治的・社会的なことをゲームが教えてくれることもあることがある。
筆者は幼少の頃よりゲームが好きで、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーといったゲームでよく遊んだ。
これらのゲームの大まかなパターンは似ていて、「世界征服をたくらむ大魔王が現れて世界が闇に包まれる。その大魔王の野望に立ち向かう勇者を主人公として、プレイヤーは世界を救う旅に出る。」というものだ。
ドラゴンクエストもシリーズ化しており、現在も多くのファンがいる。
筆者は全てのシリーズをしたわけではないが、最新のドラゴンクエスト11については現代社会の闇をそのままゲームに反映されており、このゲームを遊んだ子供たちは大人になって世の中が如何にドラゴンクエスト11と同じように腐っているかを身をもって学んでくれるだろうと思ったのだ。
そんなドラゴンクエストシリーズの中でも、ひときわ強烈な体験をさせてくれるのはシリーズの最初の作品であるドラゴンクエスト1であるように思う。
ドラゴンクエスト1では、世界の人々を苦しめる大魔王を倒すべく、主人公である勇者が立ち上がるわけだが、その大魔王に勇者が対面すると、大魔王が勇者にこういうのだ。
「もし、わしの味方になれば世界の半分をお前にやろう。どうじゃ?わしの味方になるか?」
と言うものだ。
そして、勇者が「はい、味方になります」と答えると、「それでは世界の半分、闇の世界を与えよう!」と言われ、ゲームオーバーになるのだ。
どうだろう、ゾッとしないか?
このような甘言は世の中にあふれている。
「お前も不正に手を染めないか?お前も一緒に利権を貪らないか?」という甘言に大多数の者が落ちているのが今の日本の主要な政治家や官僚、企業の幹部たちだ。
ドラゴンクエスト1は1986年に発売され、当時の小学生から大学生、大人まで幅広く遊ばれており、この大魔王の甘言を経験した者も多いだろう。
多くの小学生が遊ぶゲームで、現代の多くの大人たちが現実世界で「はい」と選んでいる選択肢をゲームの世界で小学生に選ばせているのだ。
筆者が小学生当時にドラゴンクエスト1で遊んだ時も、その後、中高生や大学生、大人になってから遊んだ時も、それぞれに様々な思いを抱きながら「大魔王の味方にはならない」と返事したものだ。
しかし、歳を重ねるにつれて、世の中には実際には「大魔王の味方になる」を選んでいる者が多いことに驚きを隠せない。
「もし、お前がともに売国をするなら甘い汁の半分をやろう。どうじゃ?わしの味方になるか?」
あなたなら、どうこたえるか?
小学生たちが選んでこなかった「はい」を選んだりしないことを願いたい。