ゼロベースで物事を考えることの難しさ
ビジネスの世界などを中心に「ゼロベースで物事を考えることが大切である」という言葉をよく聞く。
これの意味は、「従来の先入観を持って物事を考えると新しい発想が生まれないよ」という意味でつかわれる。
なるほど、なんとも前向きな話だ。
「先入観を捨ててイノベーションを起こそう!」という、とても前向きでポジティブの人の発想そのものだ。
だが、筆者はそれ以上に「ゼロベースで考えることの大切さ」は、「本当に正しいことから目を向けること」にあるように思う。
人は大抵、「自分が正しい」と思っている。
どんなに謙遜している人でも、心の奥底では「自分は正しい」と思っている。
道を歩いていて、自分の通行の妨げになっている人がいるような人がいると、大抵は相手が悪いと考える(本当に悪い場合もあるが)。
子供の教育などは正に「自分が正しい」と思うことが強く出る。
子供が勉強していたり遊んでいると、何かを諭そうとしたりするが、その深層心理には「自分が正しく、子供が間違っているので正すべきである」という発想がある。
もし「ゼロベースで考える」ならば、常に「今まで自分が行ってきたことや考えてきたことは間違っていたかもしれないから、それを毎回問い直そう」と考えるはずだが、筆者はそのように考える人をほとんど見たことがない。
なぜか。
それは、ゼロベースで考えるたびに、自分の過去の誤りや過ちを認めることになるからだ。
自分のそのような闇に向き合える人はほとんどいない。
人は大抵、嘘つきで偽善者だ。
たとえ過去の自分の誤りや過ちに気付いても、大抵の人は臭いものにふたをするように、それらを隠したり忘れたりする。
「自分は間違ってなかった」という小さなプライドを守るために、ゼロベースで考えることはしないのである。
筆者は過去に何度も自分が今まで考えてきたこと、やってきたことは間違っていたかもしれないという前提で叩き壊してきたことがあるが、それはとても精神的に辛い作業になる。
自分には何もない、何の価値もないと思ってしまうような虚無感に襲われるのだ。
そのような自分の虚無感と向き合える精神的強さを身に付けないと、日常的に「ゼロベースで考える」ことは出来ない。
そう、「ゼロベースで考える」には、それだけ自分が強くならねばならないのだ。
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