中国共産党の元国家主席の江沢民が死去

2022年11月30日に中国共産党の元国家主席である江沢民が死去したと報じられた。
96歳だったという。

江沢民は1989年6月24日から2002年11月15日まで中国共産党の中央委員会総書記という最高のポジションを務めた。
「総書記」と聞くと、「書記のトップ?会議のメモでも取る人?」と思う者もいるだろう。
共産党の組織ルールを知らなければ、その感覚で仕方がない。
共産党のルールでは、「総書記」という役職は全ての組織の人事権を保有する。
そのため、絶対的な独裁者としての地位を有することになる。

江沢民は1989年6月4日に、あの天安門での大虐殺が行われた日の20日後に中国共産党の絶対的独裁者に就任した。
中国はたった一夜にして十万人以上の学生たちを消し去った。
学生たちが平和的に天安門広場に集まり、民主化を求めて抗議デモを行っていたにも関わらず、中国共産党は軍隊でもって、たった一夜にして十万人以上もの人間を虐殺し、しかも虐殺の事実を隠蔽するために人間をミンチにして隠蔽した。

その当時の中国はとにかく情報を隠蔽することで大虐殺の事実を隠蔽し、世界に向けて融和路線を展開した。
当時の中国は共産主義を進めながら中国への外国資本による投資を呼び掛けていた。
その流れに一気に冷や水をかけてブレーキをかけたのが六四天安門であったのだ。

江沢民は二枚舌を使い、中国は民主的で友好的であることを演じた。
あまりにも嘘くさい演技に、世界中の指導者たちは騙されなかった。
世界中で中国への批難の声が上がり続けたのだが、それを真っ先に打ち破って中国への投資を再開したのが日本であった。
強烈な媚中外交が始まったのは、江沢民時代であったのかもしれない。
日本が中国共産党というヤクザと蜜月関係を築くきっかけとなったのが江沢民であったとも言えよう。

一度、ヤクザの道に踏み入れると、手が汚れる。
一度手が汚れると、どんなに綺麗なことをしても、手は汚れたままだ。
そして、さらに汚れたことをするのに躊躇がなくなる。
まさに、日本が国を挙げて不正に走るきっかけとなったのも江沢民時代であったように思う。

その江沢民が、中国共産党始まって以来の大規模の反政府デモが起こったところで死去したのは偶然であろうか。
高齢であったとはいえ、天安門大虐殺の後始末をした江沢民が、このタイミングで死去したことに何かの意味を感じずにはいられないのである。


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