JPEGでいこう
なぜRAW現像するのか?
世は正に大RAW現像時代である。PCの性能が上がり続け、ストレージも安くなり、一昔前とは格段に編集作業はしやすくなった。カメラの性能の向上とともに、RAW現像の意味合いも変わってきたように思う。15年ほど前は、センサーの世代やメーカーによってダイナミックレンジや高感度性能に差があり、条件によってはノイズ除去しつつ色を調整する必要があった。ここ5年ほどは、性能もほぼ横並びになってもはや実用上に差はなく、もはや一般人レベルでは、画質的に厳しい条件で撮影した写真を救うみたいなことはほとんどなくなったと思っている。
さらに、SNSの流行と、タブレット・スマートフォンの普及により、多くの人にすぐ見せることができるようになった。かわりに、サイズの小さい画面では、多少のノイズはもはや見えないのでどうでもよく、パッと見の色彩、インパクトが重視されているように見える。各々が自由に好みの色味に編集して、自由に発信する時代だ。
RAW現像が万能という幻想
私の場合はと言えば、昔はありがちなRAW現像万能主義者であった。適当に撮っても、あとからいじればなんとでもなるじゃんと言わんばかりに雑な撮り方をしていた。もちろん完全に間違った考え方で、それはそれはどぎつい色やひどいトーンジャンプの写真を量産していた。質の悪いことに時間が余っているほど、後処理に時間をかけがちなのである。そして、時間をかければかけるほど悪くなるこそすれ、良くはならない。次第にプライベートが忙しくなると、RAW現像でいじることはあまりしなくなった。そうしてそのうち、頭の中のイメージに近い写真を撮ったほうが圧倒的に時間を短縮できることに気づいた。
JPEGでいいじゃないか
イメージ通りに撮れればJPEGでいい。そんな当たり前のことに気付くのに10年かかった。当たり前だが、写真を撮りにいかなければ現像もできない。1枚の現像に何時間もかけるならば、その分写真を撮りに行くべきだったのだ。なんならJPEGでも簡単なレタッチはできる。今とは比べ物にならない画質の写ルンですでも、写真の写りではなく内容で皆感動してたではないか。写真の価値は、現像では決まらないのだ。もちろんイメージ通りに撮影するには、鍛錬が必要だし、今でも全然できていない。でも、それを追求できるのも写真の醍醐味の一つだと思う。だから、JPEGでいいじゃないか、と私は思う。ちなみに、今回の写真は全てRAW現像にしこたま時間をかけていた時代のものである。
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