射影仮説における状態収縮と「意識」の関係
電子のスピンの↑・↓やコイン投げの表・裏 とかにおける
状態収縮を考えてみます。
測定器は、先端の量子的相互作用する部分D1と残りの古典的部分D2に
分けて考えます。
観測者は、脳内の「情報を処理して認識する系」=意識
と考えます。
ただし、コイン投げの場合、観測者が「直接見る」ことになるので
測定器は実験系の一部(測定対象と不可分)として考えれば良いです。
また、射影仮説は、測定対象と測定器の合成系に対して適用
しないといけないですし(Glauberの1963年の論文)
また、小澤先生による射影仮説の導出も測定対象と測定器の
合成系に対してですから、
射影仮説は、
測定対象と測定器(D1+D2)との合成系に働いて、状態を収縮
させることになります。
脳での「知識の増加による情報の更新としての波動関数の収縮」は
もちろん正しいですが、
フォンノイマン鎖での観測者と定式化の関係で考えてみると、
観測者Oの状態を算出するには、
Oの外部観測者O’から見た定式化:
|S>|D>|O> とか|↑S>|↑D>|↑O> +|↓S>|↓D>|↓O>
におけるρ_SDO ではじめて、観測者Oの状態やその確率 が言えるわけで、
小澤先生による射影仮説の導出では、観測者Oから見た定式化:
|S>|D>とか|↑S>|↑D> +|↓S>|↓D>
におけるρ_SD では、観測者Oについては、出てこないはずです。
したがって、
脳の「意識」において状態が収縮するというのは、正しいですが、
射影仮説による状態の収縮とは、別の話ではないか
と思います。