冬空と受動喫煙と炙りしめ鯖 24.1.31

冬の空の灰色をみると、気が滅入る。

誰かも似たようなことを言ってた気がするし、
たぶんそれは私の感性じゃなくて、
低気圧のせいだってうっすら気づいている。

そういう、私のものだと思ってたのに、
私のものじゃなかったんだな、と落胆する瞬間がよくある。

よくありすぎて、それに慣れっこになってしまっているのが、俯瞰でみたときに悲しい。

そう、俯瞰でみたときに悲しい。

逆にいうと、もう主観で何かに怒ったり、悲しんだりが上手くできないような気がする。

出来事と感情の間にワンクッションあるというか、
私はいま「悲しい」と受け取ろうとしてるけど、
それでほんとにあってるのかな?って迷ってしまう感じ。

……良いか悪いかは別として、
瞬間風速的に怒ったり悲しんだりしてるひとをみると、
ちょっと怖いなって思ってしまう。

怖いけど、少しは憧れるし、その「憧れる」が、
通勤電車でみかける制服姿を眩しく思う感情と
一緒なのかどうかは、よく分からない。

大爆音でエンジンふかして、バイク走らせてる
ティーンエイジャーに向ける眼差しのほうが
近いかもしれない(最近そんないないけど)。

少し話は変わって、「多様性」って罪な言葉だなって改めて思うんだよ。

誰のことも受け止めようとすると、「それ違うんじゃない?」の一言が言えなくなる。

自分自身は、そこまでやさしい人間じゃないから、
「それ違うんじゃない?」ってくちにしたことはほとんどないし、
遠回しに伝えてみて、伝わってなさそうなら、さっさとUターンしてしまうんだけど。

うーん、誰かを傷つけるくらいなら、死んだほうがマシだ、って思ってるだけか。

でも、「多様性」を学校で習って大人になる子どもたちは、
きっと、うっすら他人に無関心というか、
他人の人生に介入することが「いけないこと」のように感じて育つんだろうな、って。

想像すると、若干ディストピアだなって思う。

数字のうえでは違うんだろうけど、肌感として、
昔より、いじめとか校内ヒエラルキーみたいなのって、
だんだんなくなってきてるように思ってて。

令和の子どもはコンプラ意識が高いんだね、って
片づけるのは簡単だろうけど、
それが他人への無関心と、ネットに依存した自己愛の結果なんだとしたら、
それもそれでなんだかなーって、老婆心で言ってる。

ドラマ「不適切にもほどがある!」とか、
それこそウエストランドのM-1優勝とか、
そういうカウンターカルチャーがウケるのも、
ほんとのところは、よくわかってないのかもしれない。
(ウエストランドのアンチじゃないよ、あのネタがM-1で優勝する"文脈"を指してる)

コンプライアンスを窮屈って思ってないし、
「コンプライアンス」って概念がなくても、
他者を最大限尊重して、慮るなんて、当たり前のことだって思ってるから。

窮屈って感じるひとは、自由の行使の仕方を履き違えてるひとなんじゃない?って……。

はぁ。

でも、なんか少し思うのは、
"望んでもないのに肺に流れ込んでくるタバコの煙"って、
ほんとにしんどいよね、ってことで。

「あなたへのおすすめ」もそうだし、
仕事してるなかでも、「あー! いま受動喫煙!」って
叫びたくなることがある。

ってか、私が噎せてるの気づいてる?

なんか空気読んで、
「タバコ美味しいですか? 私吸わないんですけど」
みたいな会話してる時、やっぱり俯瞰で悲しくなる。

「私吸わないんですけど」って、気持ちばかりの抵抗をしながらさ。

煙ごと受け止めるのが「多様性」ってほんとなのかな?

社会的な「分煙」が対立を生むだけだってのは、
ちゃんとわかってるつもりだけど……。

いろんな"煙たい"瞬間を、
年齢とか性別とか職種とか地域性とか生育環境のせいにして、
自分ひとりで納得してるんだけど、
ほんとのほんとは、仲良く炙りしめ鯖をつつきあって、
熱燗を酌み交わしたいんだよ。

その瞬間だけでも、禁煙して欲しいって思うのは、
やっぱり「多様性」にそぐわない、わがままなのかな。

って、コンビニ弁当を氷結で流し込みながら……。


余談だけど、ストゼロなくなるらしいね?


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