2024/6/19

結局、1日1日が過ぎ去るのが遅く、このつらさは着実に1日1日と重くなってゆく。誰も救えなかったし救ってくれなかった。救えるものではなかった。死ねなかった日を何度も思い出して、その時よりつらい今なら死ねるのだろうかと思うが死ぬのにもエネルギーが必要で、確信が必要だった。

食べても吐いてしまう、体重が減り華奢な背中と薄い胴体で、この夏は超えられるのだろうか。未来の予定を立てることが難しく、かろうじて学歴は残さなくてはと大学に通っている。今日、明日、明後日、いつ終わりにしてもいいのに遠い未来の自分のために卒論も就職もこなした。死のうと思って残高があっても仕方ないとクレカの請求金額が倍以上になった月から、病院に支払う額も高くなった。矛盾しているようで私には全く矛盾していない。つまり、全て全て生きたいのです。生きたい、生き延びたい、生き続けたい、生きたい生きたい生きたい生きたい…

昨年の冬はまだ復讐心があった。精神不調の原因と解決策とその結果が明確で、私はそれに沿ってこれから生きていくのだと確信していた。今は、もうその次元を降りて別の次元に来ている。つらいということだけが宙吊りにされている。復讐の30年が始まると思ったけれど、結局、私が私であるこの自己の存在が耐えられないのなら、私が私として生き続ける限り終わりはないのでは。私が死ななければ終わりはないのか、どうしたら私を殺せるのだろうか、わからない。とりあえず家をでることにした。私を私たらしめる物・者が無いところへひとり行くことにした。ひとりの空間が欲しい、家族から離れたい、地理的に便利な場所に住みたいという気持ちではなくて、もうここにいたら私の宇宙は破壊される、破滅に追いやられると思った。介護も手続きも精神的負担も全部丸投げして、私は金だけ稼いで口座に入れることだけを選んだ。ゆるされる状況ではなかったのに、ゆるしてくれた。申し訳ない、ごめんなさい。謝罪しかでてこない。この数ヶ月、遺書を考えながら、謝罪と感謝しかでてこなかった。

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