2024/8/13 再生
愛していないとはっきり言われて、
このつらさはもう治すことができないのだと分かって、
良い意味で諦め切れた。
幼いころから生を肯定することができなくて、それでも私の存在が愛ゆえならばと思い生きてきた。その自分の生きる上での前提が覆され、愛でないならなぜ私を世に生み出したのか、私はあいつを一生裁判の舞台に立たせ、私を誕生させた罪で訴え続ける。
家族であれ友であれ、誰しもが他者であるとは思わない。少なくとも私を生みだしやがったあいつを他者だとは思えなかった。他者だと、そんな容易に諦められなかった。容易に、他者だからだと、手放しに考えることはできなかった。それは私には残酷すぎる結末だと思った。
10代の頃から己の存在に怒りを持ち続けていた。私を生み出したことに怒りを持ち続けてきた。あいつが他者なら、この怒りをどこに向ければいいの。私が生きていることをどう受け止めればいいの。生まれてしまった、私のせいなの?
あいつが、全ての元凶だ。私を生み出しやがった、私に世界を見せやがった、私に宇宙を持たせやがった、あいつが憎い、憎い、憎い憎い憎い。呪い殺してやりたい。確実に、殺したるわ。けれど、私は復讐心で自分の命を繋ぐことはできなかった。あいつに復讐する前に、私が死んでしまうと思った。そして、死んでしまった。
私はこれからも自分の生を肯定できないだろうし、希死念慮を持ち続けるだろう。元の生活に戻ることはできない。人間はうまい具合に過去の修正機能を持ち得ず、未来を含んだ現在しか生きられないようになっている。神の設計図に舌を巻く。嘘の関係性の中で勝手に思い上がって、信じて、感謝して、結局騙され続けていたことに気づいた時には完全に裏切られて、私には失うことすらできなかった。有る/在ると勘違いしていて、元から無かったものを喪失することもできない。
無い、ということ。何も無い、ということ。私は地獄の先にひとりぽとんと落とされてしまった。つらいということだけが宙吊りにされて、その糸が長いか短いか、神の気まぐれによって多少変わるだけで、常につらい感覚は抜けないだろう。なぜならその糸は既に切られてしまったから。なぜなら地獄の先は高さも長さも存在しない、無であるから。何も見えない。何も生み出せない。
2024年8月、22歳。私は死にました。私は自分を殺し切れた。ここまでつらくてつらくて、つらくて、死ぬしかないと思った。一度自分を殺さなければこのつらさから脱却できない、と。ようやく、自分を殺せたと思う。死に切れた。よかった。
これから、私は生き返ります。
とても晴れやかな気持ちです。
もう上を見上げても地獄すら見えないけれど、
つらいことに変わりはないけれど、
どうやって生き返ればいいのかわからないけれど、
きっと生き返ります。
地獄の先で死ねたのだからここから再び生きることだってできるはずです。
私は私の手によって再生されるのです。