この春は、花が、丁寧に沈む静寂を眺めていたい
黒い海に星が光り浮かびあがる
友人の遺書を読む何度目の夜か
この春は、花が、丁寧に沈む静寂を眺めていたい
自分がどこから来てどこへ行くのか、世界における自分の文脈を知らずにある一点としてこの世に産み落とされたかった。自分以外は他者であると、そう思い切りたかった。私の存在理由が愛でないのなら、私が存在しないこともありえたのに、それでも実際に存在してしまった自己の実存へ、その非必然性を最後に解き明かしたい。私が存在しなくてもよかったと、そう確かにしたい。そしたら私は私ではない「何者か」になれるはずだ。
毎日だれかへ問う。全身から崩れ落ちたこと、お前はあるか。自転車のペダルが漕げなくなったこと、坂が登れなくなったこと、家に帰れなくなったこと。涙を風に任せ身体を重力に任せ、それでも死ねない絶望を、お前は知っているか。
私はひとり地獄の先に来てしまって、自らをも含み他者を憎み呪う。この私に何が生み出せるというのだろう。残されたノートにわたしの名前が一文字も書かれていなかったこと。私への、そして私の最も大切なものへの、完全な裏切り。今の私を生かすのは怒り、呪い、復讐。自分を殺そうと思ったときから何でもできる気がする。自分の大切なものを守るので必死、ただ殺すまでは死ねない。殺したあとの人生はまた新たな地獄であろうがそのことを考える余裕などない。自分の存在理由を殺し続けることで、私は生き続ける。自分を呪いながら、生きてゆく。このようにしか、生きることができない私をどうかゆるしてほしい。生きることも死ぬことも、ただゆるしてほしい。あのときからもう10年同じことを思い続けている。誰にゆるしてほしいのか、今でもわからない。もうわからないままなのかもしれない。