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2023.12.27

自分へ

この22日間、毎日、それが朝だろうが夜だろうが昼だろうが、決まって眠りから覚めると、ここは現実か地獄かを自問自答し続けてきた。ここは現実で地獄である。そしてそれはこれからも問い続けるだろう。

父が死ぬはずだった12月。
48時間、全身全霊で体を上下に激しく動かし心臓を力ずくで叩くように呼吸をする人間の姿は、苦しく、辛く、暴力的で、生々しく、動物的で、凄まじい。余命宣告から蘇った彼は今、生と死では語ることすらできない状態にいる。

何度目の夜だろうか。
場所と時間を駆けて日々をこなしていると、わからなくなる。毎日毎日、手続きと心配で自らの寿命が削られてゆく感覚だ。こうして言葉を紡ぐことが刹那の停止になっている。

さまざまな思考がふっと、重さをもって確実に足跡をつけていく。一家心中、自衛隊、自殺幇助、人工呼吸器…忘却と記憶。わたしは何者か、彼は何者か…他者との関係性によってしか自己の確固たる確立ができないことに憤りを感じていた数年前。皮肉にも、今はその関係性が何よりも重要で保証されてほしいと願う。そうでなければ、ほんとうに、わたしは何者で、向き合っている彼は誰なんだろう。

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この人生は、生きるように設計されているのか
なんでこんなにずっとつらいのか
死のうとか思わないけれど、世界が死んでくんねえかな、とふと思った。
終わりのない冷たく青白い世界、聳え立つ重い扉の前でひとり白い呼吸をし続けている感覚で、そのような地獄が、哀れにも自分らしいと思った。これから終わりなく絶望を引きずって生きていくことになるのだろう。
両手を見つめる。ひとつひとつ指を動かす。わたしはまだ動かせる、まだ大丈夫。でもこんなことが父はできないのです。世界は、想像よりも美しいのだろうか。「想像」と「現実」が何度も思考を反芻する。両者の差というより、両者ともの限界に呆れた。こんなもんか、ここまでか…という。

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2023.12.24

クリスマスイヴ、本屋で久しぶりにカフカを手に取る。カフカの日記や手紙の言葉をなぞると、絶望したまま生きてゆくことをゆるされた気がした。絶望を知る人間の言葉は信じることができる。希望だ、堕ちるところまで堕ちることができる、という絶望が今の希望だ。父のことを過去形で話す自分は何なのだろう。父という幻想は消滅して肉体だけが残ったと認識しているのだろうか。自分でもよくわからない。幻滅。

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2023.12.26

妹が泣きながら帰ってきた。この子が幸せに生きていく道をわたしがつくってあげなければいけない。わたしがどんなに絶望の道を歩いても、この子には祈りや希望という幻想ではなく、少なくとも現実が現実とだけ解釈できる道をつくってあげなければならない。

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できる限り、わたしが一瞬でもこころをゆるしたひとびとに、この手紙が読まれてほしい。
わたしが何者であるか完全にわからなくなる前に、わたしの一瞬を委ねた他者がわたしが何者であったかを憶えておいてほしい。もし、わたしが貪欲にも地獄から這い上がったとき、わたしが何者であったかを知るために。

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