世紀末少年
1997年ファイナルファンタジー7を買った。世紀末が近づき景気が徐々に後退し、人々が浮足立っていたような時期だった。その時期に流行っていたものにはやはり特別な何かがあったように思う。エヴァンゲリオン、もののけ姫、ファイナルファンタジー7、2年ほど遅れてファイトクラブ。
僕は当時小学校6年生だった。学校ではみんなゲームとかアニメとかドラマとかの話をしていた。特にファイナルファンタジー7は多くの子供たちが話題にしていた。「水中呼吸のマテリアがあって、それを使うと…」とか。当時はアバランチのやっていることとかに何も疑問も持たずに、主人公側なんだから「正しい」のだろうとプレイしていた。そう、その時すでに既存の価値観にひびがはいっていたのだろう。正義と悪の価値観が溶け始めた時代を象徴するゲームだった。そして、やがてやってくる大破局に向かって人類は進んでいる、そんな空気があの時代を満たしていた。そして2001年9月11日世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ。
ファイナルファンタジー7が発売されて22年の月日が流れた。2020年にはファイナルファンタジー7のリメイクが発売される。エヴァンゲリオンの新しい映画も公開される。宮崎駿監督の作品はどうなるであろうか。JOKERの衝撃は記憶に新しい。世界は螺旋を描くように続いていく。僕らは何度もリユニオンする。世紀末少年だったあの頃に。そして次の世代へと受け継がれていく。
YouTubeでFF7のリメイクが決まった時の海外の方のリアクションをおさめた映像の中に10代の少年が「My life completely done」と呟いていたのが印象に残る。きっと今を生きる現代の子供たちにも伝わる物語だと思う。
グローバリズム、科学、環境汚染、レジスタンス、貧困、民族、多様性、ガイア、神、様々なテーマをFF7は孕んでいる。それらは現代が抱えた問題である。それらの問題に君ならどうするとFF7は優しく問いかける。
「世界がなお存続しうるとしても、その唯一の根拠は現に存在しているということである」とある詩人は言う。ならば終末を超えて僕らが滅びずに存在しているのは偶然だということになる。ひとまずその偶然に感謝しよう。ファイナルファンタジー7の物語に再び出会える喜びを胸に、そして今度こそ僕たちは世界を善い方向へ導いていけると、そう信じて。混沌とした時代には希望となる物語が必要だ。どんな時代でも希望は生き続ける。希望としてのレジスタンスとしてのファイナルファンタジーを僕は待っている。再びアバランチのメンバーとして物語を始めることができるその日まで。
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