【こ6】「視力検査」について
今日のコラムは、視力検査についてです。
突然ですが。
どうして「視力」と呼ぶのでしょうか。
「視る=見る」という意味だろうと思うのですが、本来見る力というのは眼球が有するものですので、「眼力」と呼ぶのがふさわしいのではないでしょうか。
しかし、そう書いてしまうと、どうしても『竹内力』や『白竜』といった関西のノンバンク且つアンダーグラウンドな雰囲気を連想してしまいますので、やはり「視力」と書くのが正解なのでしょう。
私が小学生の頃の視力検査は、黒いスプーンのような物で片方の目を隠し、保健の先生が検査表を棒で指して、上下左右のどこに穴が空いているのかを質問し、それを答えるという至ってシンプルなものでした。
しかし「保健室という異空間」と「後ろにクラスメイトが勢揃いしている」という独特な雰囲気に、人は時として飲み込まれてしまうものです。クラスメイトの一人は『右』という極めてありふれた言葉が頭から飛んでしまい、思わず両手を使って右に穴が空いている事を表現してしまいました。それ以降、山下君は『ヤングマン』『バーモント』というあだ名が付いてしまいました。ギャランドゥよりマシだと思います。
これも小学生の頃の話ですが、私のクラスは保健室の掃除も任されていました。視力検査の前日だったでしょうか。私と一緒に掃除をしていた児玉君は検査表の前で、翌日の検査に向けてずっと穴の場所を暗記していました。そして当日、児玉君はその記憶力を遺憾なく発揮し「4.0」という驚異的な数字を叩き出しました。その日の放課後、児玉君は再び保健室に呼び出され、担任教師が同席のもと真新しい検査表の前で再検査を行い、「1.5」という極めてありふれた数字を出した後、こっぴどく怒られました。それ以降、児玉君の驚異的な記憶力を目にしたことはありません。
話は変わりますが。
私が高校生の頃でしょうか。
「マサイ族の人々は1km先のキリンを見る事が出来る」
という話をTVで見たことがあります。
それと同じ時期、これもまたTVでオスマン・サンコンさんが
「ギニアから日本に来て以降、眼鏡をかけるようになった」
と嘆いていたのも見ました。
それを聞いたおバカなTV局がサンコンさんの視力を測ったところ、結果は「1.2」という数値でした。どうして視力1.2の人が眼鏡をかけていたのでしょうか。
それにしても、マサイの人々の驚異的な視力には羨ましさを覚えました。
そして、私は受験勉強そっちのけで一念発起しました。
視力が向上すると聞けば、真ん中に穴が一つだけ空いたピンホールメガネをかけ、昔はメジャーでなかったブルーベリーが目に良いと聞けば、スーパーでブルーベリージャムを全て購入するという行為を続けていました。
もし自宅の前にブルーベリー畑があったのなら、大量発生したイナゴのごとく全ての実を食い尽くしていた事でしょう。
そこまでして視力を向上させたかった理由は何だったのか。
私は別にマサイの人々に加わりたかった訳ではありませんし、高校生特有の「族に入りたい」という安易な特攻の拓かぶれだった訳でもありません。
仮に12.0という超人的な視力を手に入れれば、
『黒板を透視して、隣のクラスの好きな女子の透けブラを見ることが出来るのではないだろうか』
『フライデーを買わずとも、その中の「袋とじグラビア」の中身を見ることが出来るのではないだろうか』
そういった超能力学園Zのような夢物語を懐かしく思いつつ、少しだけ早い春と、少しだけ早い老眼を感じている今日この頃です。
以上、コラムでした。
【参考文献】
・Wikipedia「疾風伝説 特攻の拓」
・Wikipedia「超能力学園Z」
・Wikipedia「マサイ族の身体的特徴」
・Wikipedia「オスマン・サンコン」