ワールドトリガー27巻が発売されております今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。私は新幹線のチケット受け取りが本当にできるのかびくびくしながら過ごしております。駅まで行く交通費をケチり、よくわかんね~!!!と叫びながらネット予約した者の末路がこれです。ちなみに購入はクレカでおこなったのですが、普段クレカ使わな過ぎて暗証番号とか覚えてないため、万一入れる画面が出てきたら「詰み」だったりします。

上記の文の「たり」、並列して使わない場合は誤用と学校では習った覚えがあります。「走ったり転んだり」のような使い方をするものだ、といった形で。しかしながら、私が単独で「たり」を使おうとしてしまう場面は結構よくあり、なぜだろうと考えてみると、用いないときに比べてやや婉曲的な、柔らかな印象が出るような気がするから、ではなかろうかと思います。

このように、間違っていることは分かっていても、使いやすい、使った方がより自分の心情に近くなる、といった場合に誤用の語句を使用するといったことはだれしもあることとと信じているところです。

口語だとより顕著で、「全然」は打消しを伴わない場合は誤用ですとか、「仰られる」は二重敬語のため不適ですとか、まあまあ間違った言葉を使いながら生きております。うっかりしがちです。

ただ、そんな私ですがどうしても気になる表現があります。
何年か前、時期は定かではないですが、某テレビ番組の冒頭を見ていた時のこと。司会進行役の方が出演者の紹介をするときにこう仰るわけです。「では、審査していただく方々を紹介しましょう!今回審査していただくのは、この方たちです!」この紹介で登壇するのであれば、(やや違和を感じるまでも)審査される側であるべきだと思うのですが、なぜだか審査員の方がご登壇されておりました。あるぇ……。

もしかして最近の教育課程では謙譲語と尊敬語の区別がなくなっているのでしょうか。いいくにつくろう鎌倉幕府といっしょに「かこのはなし」になっているのでしょうか。これがジェネレーションギャップというものでしょうか……。

敬意の対象が迷子になるですとか真逆になるですとかは、さすがによろしくないのではないかなあと思うのですが、私自身「うつくしいことばづかい」などというものからはかけ離れた言葉遣いをしておりますので、黙して語らずで行こうと思います。どうしても気になってはしまいますが……。

そういえば以前、上司の作成した手紙について文面の確認を依頼されたことがあります。文章の大意は問題なく思われましたが、明らかに敬意の対象が逆になっていたので主語を変えるなどしてはどうですかと提案しました。上司はなるほどと頷き、該当箇所の修正に向かいました。修正後の文章を読むと、接続がおかしくなっています。申し訳なく思いながらも指摘したところ、自席で直してくれました。再度確認します。なんとも不思議なことに、最初の文章に戻っていました。というおどろきのコンボが発生したことがあります。語ったところで意味がないということですね。合掌。

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ついった:@eM5kc3t9


追記:「AはBに審査していただく。」の一文が成立している場合、「審査していただくのは〇だ。」の〇に入るのはAだと思っています。日本語では主語が省略されがちなので「Bに審査していただく」は特に引っ掛かりなく読めるのですが、「審査していただくのは〇だ」の〇にBが入ってくるとあれ?って思う、というお話でした。にほんごむずかしい。