安土桃山に現れたThe Beatles(裏カ)
はじめにこれは一週間前くらいにあった葬式の話をします。
※人の死ぬ話、若干不謹慎なものの捉え方が出てきます。苦手な方は読むのをお辞めになっていただければ幸いです。不謹慎な物言いをしていますがぼく自身は喪に服してますし、とても悲しいと思っております。
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ぼくの家は古い人間たちの家(馬鹿にしているわけではなく、祖父母は長生きでぼくも遅めの子供だったために父ももう老人である)のため、よく言われたことであったが、
「最近の若いものの音楽はよくない。分からない」
こう言われ続けてきた。
ここで言う若いものの音楽、というのはテレビで時折あるライブ番組や紅白歌合戦の前半を飾るようなJ-POPやロックバンドのことであり(かく言うぼくもさして追ったアーティストがいるわけでもないが)老人たちのその若者文化への否定的な考えは少し納得のいかないものだった。
基本他者を貶める物言いをする際は喧嘩の始まりだと思っていた少年よしのぶにはそれが不思議であったと言う話だ。
父は昔からBeatlesが好きであった。それは数十万するアコースティックを買ってギターの価値も曲の良さも分からない息子に弾き語りを独りよがりにしていることから、今でも変わっていないのだろう。
しかし父は先のぼくの疑問と同様に当時の若者の音楽の最先端であったThe Beatlesを推す過程で彼の父、つまりぼくの祖父から否定的な発言をされてきたと言う。どんなことを言われたのかは定かではないし、話を聞きはしたんだがよくは覚えてないのでなんかそんな感じだったってことしかわからない。
だが今では父も若者の音楽が分からないと言う。父が祖父に言われたそれと、父が今思っている感情の違いはなんだ、と聞いたことがあった。「Beatlesは現代音楽を作った神だ」と言われた。彼は趣向の話ではなく信仰の話をしていただけだった。
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先日、祖母の葬式があった。食べ物がうまく飲み込めず吐き出して、なんかそこから色々あって亡くなったらしい。説明されたがよく分からんかったのでよく分からないまま葬式に出た。
朝5時に起きて6:30集合の7:00スタートの葬式からの火葬収骨派生。午前中で全てが終わる日程だ。「長く遅くにやるといらん人間もわらわら湧いてくるので家族葬で爆速でやるぞ」は母の談。1日で部外者なしに爆速でやった結果あとから外部からワラワラ香典が送られてきてそっちで結局手間取ったのはまた別の話。
実際家族葬と聞いていたので見知った人間と10人前後でわらっとやるのかな〜と思ってたが5人兄弟を産んだ祖母、なんだかんだと40人前後集まっていた。子宝に恵まれたな婆さん。
いや、知らんおじさんとかいるし。おばさん誰? ぼくが10年間母方の親戚と疎遠になっていたのもあるが葬式になってNew challengerが出てくるのは違くない?
5人兄弟の長男が喪主になったがあまりにポンなおっさんで役に立たないため三女の母とその息子のぼくが受付業務をしていた。
始まるまでずっと受付にいたが、式場を覗けばこの前レタッチした遺影がたくさんの花に塗れて飾ってあった。あと棺も。ファンシーな棺選んだな。受付けからはその寝顔は見えなかったが。
知らないおじさんおばさんに「誰君?」と言われ続けてる間に式が始まった。
いろんな挨拶の後に神官(って言い方すると急にファンタジーになるがマジに神官)さんがやってきてメーンイベントが始まる。仏教で言うお経的なもの、を読み上げ始める。なんて言うんだろうあれ。
その流れで先日
「海外には讃美歌とか宗教に関連した音楽が存在するが日本にはなくね? 教えてフォロワー!」(意訳)
「いや仏教で言うお経、あれとんでもないリズム感だけど歌なんすわ...」(意訳)
的なツイートを拝見した。ふむ、確かにそれはそうだ。
そう考えると今目の前で行われている葬式=神事も歌が読まれ雅楽が流れるお祭りな気がしてきた。
もとより神道は「式年祭」って呼ばれる仏式における一周忌二周忌的なのがある。なんか前に日記で紹介した気もするが、こちらも雅楽ベンベン鳴らして神官さんが何らかを読み上げるやつだった。
もしかして仏式でも新式でも、人を見送る儀式はお祭りだったんではないだろうか? お経が歌であった頃、琵琶法師や戦国の世を回ったとされる出雲阿国はまるで日本に来日してタラップを降りるThe Beatlesのように人々を熱狂させたりしていたのではないだろうか? 厳粛に執り行われる祖母の葬式を見ながら何を考えているんだ。と思いつつ、式の最後に棺桶に花をつめるところでこれを思い出してちょっとふふっとしてしまった。ごめんなばあちゃん。でも見送る気持ちは本物だからさ。
式の中盤、部屋を暗くし、神官さんが棺をぽんぽんと叩きながら「ひ、ふ、み....」と数えるシーンがあった。きっとあれが人の魂をあの世に送るシークエンスなのかな、とか思った。でもあれ若干睡眠導入ASMR感ない? ああでもゆっくり眠れよ。的なやつなのかもな。
式が終わって今度は火葬場で骨にする時間。
焼き場は独特な雰囲気があって、おもたそうな炉の扉が数枚あり、なんかBloodborneの実験棟前のエレベーターみたいな「ゴゥンゴゥン」といった音がしている。となりには当日別の部屋で式をやっていたと思われる亡くなられたおじさんの遺影が重そうな扉の前に飾ってある。絶賛おじさん火葬中だと考えた途端、人からモノに変換される場所。背筋がゾワッとした。
数十分待機して焼きが終わりまた呼び出され、収骨室で担当のお兄さんが焼けた骨を収めるのを見る。あとなんか収骨体験ができる。
骨を見せて説明をするお兄さんが若干サイコパスに見えんでもないし、みんなで二人で骨持って入れる所作も若干サイコパス感がある。きっと意図のある習わしで意味もわからんでもないが若干サイコパスな感じがする。
そういえば太ってたばあちゃんは施設に入って歩かなくなってからかなり細くなっていた。特に足腰がね。寝たきりになっちゃってたので。
でも今日冷凍されて棺に入っていたばあちゃんはもっと細くなっていたし、挙句の果てにその日のうちに抱えられるツボの中に収まるだけの体積になってしまった。そこで急に「人が死ぬこと」について実感がワッと襲ってきた。人は死ぬと小さくなってしまうんだ。
骨も焼き終わって式場でやることは全部終わり、解散。終わり側に喪主のポンのおっさんが集まってくれた人に対して涙ながらに感謝を述べていたが全部段取りを組んだのは末の姉弟なんだよな。
でも、死んだばあちゃんからすればみんな変わりのない愛すべきこどもなのだろう。
もしかしたら葬式ってのは子どもたちができる最後の親への献身の祭りなのかもしれないな。
骨を実家に持って帰ってきて神棚の前に祭壇を作って飾った。おかえり婆さん。一週間後神棚の隣に布団をひいて寝た。ばあちゃんと添い寝をするのは、人生で初めてだな。
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通勤中、Beatlesのアルバムを聴いた。会社で先輩がSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandジャケットのマグカップを使ってるせいでふと思い出してどんなアルバムだったか聴き返したくなった。
Beatlesが架空のバンドの構成員というていで作られた楽曲たち。一時代を築いて多くのバンドマン志望とファンに夢を見せた彼らが演じたかったバンドマンとはなんだったのか。
聴いているうちに父のことを思い出したし、先日の祖母の葬儀のことも思い出した。
音楽は記憶を閉じ込め、思い出させる。きっと数十年後もSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandを聴いた時、このことを思い出すだろう。
曲やアーティストの趣向や良し悪しではない。
ただ思い出がそこにあるだけだ。