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世界の形を変えてみよう!(モ)
小さな夢を見た。
星を掴むような夢だ。
性悪説に基づいた、希望に溢れる救いようのない夢だった。
◇
「──きて、起きて。もう昼だよ? どころか夕方なんだけど?」
わずかな揺れと、幼い子どもの声のような音。
それが事実として声であり、意味を持った言葉であることに気づいたのは、目が覚めて出来事を振り返った瞬間だ。
寝起きのぼーっとする頭で現状を思い返す──ああ、そうだ。
先日私は死に、そして生き返ったのだ。
言葉にすると簡単なのだがどうにもこうにも荒唐無稽。本気でそんなことを言う人間がいるとするならば、私は正気を疑うだろう。
だとすると、私は既に正気ではないのかもしれない。断言できないのは、あまりのリアリティから現実だと考える頭があることも事実だからである。
「ほらほら、はやく起きなー。ななこじゃなきゃとっくに呆れて見放してると思うんだよー。だから早く起きて目一杯わたしを甘やかしなー」
「やだ」
「なんで」
ぺしぺしとこちらの頭を叩いてくる彼女。
その手の感触が本物同然であることを感じ、私は少しだけ妙な表情になった気がした。
朝宮ななこは前世の私が生み出したキャラクターで、脳内彼女という設定だった。
つまり現実に干渉することはできない。彼女が存在するのは私の頭の中だけだ。
けれど、今ここに彼女がいる。そしてたしかに存在している。幻覚なんかじゃない。
ありえないことなのに、あまりにもリアルな五感のせいで困惑する。
自分が狂ったと思おうにも、感覚が否定してしまうのだ。
ここは現実なのかもしれない──そう認めざるをえないほど、この世界は精巧で。
嘆息し、私はいよいよ起き上がった。
ぴこり。頭の上で何かが動く。
「そういえばこんなのもあったなぁ……」
頭の上に生えた耳が、それでも夢じゃないかと呼びかけてくるのだった。
◇
この世界はどうやら「日記を書く種族」が存在し、それらによる「日記競技」が隆盛なようで、スポーツのように日記について頻繁に報道されていたりする。
私は「日記を書く種族」であるうちのモガ娘なる種族に転生していて、そしてどうやらそこそこの規模の大会のようなものに出場しているようだった。その名はカエシ・モガアブフ。ガッシュの呪文か?
日記を書く種族にどうして耳と尻尾が生えてるのかはよくわからない。
優勝者は「日記王」の称号を得られるらしい。ガッシュか?
競技化しているということから、「日記」を指導するトレーナーのような存在だって当然いる。
私のトレーナーは朝宮ななこ。トレーナーというよりはパートナーだろうか?
緩い関係性のせいでいろいろとわからないことになっているのだが、何はともあれ、元脳内彼女は現トレーナーになったというわけだ。
なんで私がトレーナーじゃないのかを考えたが、性格的に確かに向こうが優位になるだろうなと考えるとそれほどおかしいことでもない。
わからないのはこの世界だ。
どうしてこんな世界に私は転生し、都合のいい環境で生きているのだろう。
やはり夢だとしたほうがしっくりくるくらいに、この世界は私にとって都合がいい世界だった。
そもそも。
私はどんなふうに死んだんだろう。
そう、死んだのだとするとそれ以前の記憶が曖昧だ。まるで自分という存在がついさっき作られたのかと思うくらいに穴の空いている記憶は、意識しようとすると不安になる。
不安になるから、私は今日も目を逸らす。
思い出したくないことなら思い出さなくていいじゃないか。
全人類が目を背けていれば、きっと世界はうまく回るんだから。
「なんか心ここにあらずって感じじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ。もー、ここしばらくずっとそんな感じ! そんなんじゃろくな成績も残せないよ? 収入減ってもいいの?」
「ななこちゃんは」ちょっと呆れて。「お金が好きだねぇ」
「ちがうよ。ななこは文化が好きなんだ」
目の前に指を突きつけられ、訂正される。
あまり行儀のいい行動だとは思えないが、そのことを咎めるような性格でもない。私は黙って彼女の指を眺める。
「絵、小説、音楽、動画、日記──わたしはありとあらゆる文化が好きなんだよ。お金があったらより多く文化に触れることができるでしょ? だから別にお金が好きなんじゃないけれど、お金はできるだけ多く持っておきたいんだよ」
「へぇ。文化ねぇ……そんな高尚な人には見えないけれど」
「耳食べるよ?」
「すごく嫌だ」
がじがじと耳を齧られながら、私は日記の内容を考える。何も浮かんでこない。
人の耳を食べようとする輩が邪魔でそうなっているわけではない。私には日記というものがわからないのだ。
子供のときに書いた覚えこそあれど、そんなものを面白おかしく書けるほど愉快な生き方をしているわけではない。むしろ波風立たないようなつまらない生き方ばかりしている。
だから、この世界は私に合っていないような気がした。
そう考えて、おかしさで笑ってしまった。
都合の良い世界と言いつつ、嫌なことがあればすぐ「合っていない」と投げ出すのか。
日記を書く。いや、それはもはや日記ではない。ただの悪辣だ。直視できない被害者意識の塊で、私は見ていられず目をそらす。
ノートを破り捨てたい気分になった。
もうだめだ。やってられない。
ペンを投げ捨てるように机の上に置いて、未だに人の耳に齧りついているアホの子ごとベッドにダイブする。
「うにゃ──っ!?」
「はっはっは、やってらんねー! 寝るわ!」
「一体全体何時間寝るのさ!?」
「これ冬眠だから。数世紀くらいは起きないから。それじゃ!」
「おなか触るよ」
「やめて」
思いっきり撫でられた。
「にゃああああああああああ」
実は私は人に体を触られるのが苦手である。体がぞわぞわする感覚に、思わずのけぞってしまった。
耳を噛まれるよりも嫌だ。反射で逃避しようとした体は、無理な動きをしたことにより痛みを訴える。
かくして死体と化した私を見て、ななこちゃんは小さくため息を一つ。
いつもの無愛想な目を更に細めて、つんつんと私の肋骨の隙間を突きながら、呆れた声音で言うのである。
「まったく……これはもう、無理やり尻尾に火をつけるしかないね」
「物理的に……?」
「そんなわけないでしょ。やる気を出させるんだよ」
というわけで。彼女は続ける。
「外出しよっか!」
「やだ」
「いいからお外で遊べぇーっ!!」
どんがらがちゅどんばががががひゅうぃご。
擬音に表すとそんな感じで、慌ただしくも私は外へと放り出された。空中を前方に半回転し、背中から地面に落ちる。シンプルに痛い。
「じゃ、そんなわけだから。しばらく帰ってきちゃ駄目だよ! その度に追い払うからね!」
「私の部屋……」
「それ以前に私の家! 日記書くのサボりすぎて部屋から追い出されたのはだれかなー? 私の温情で部屋に置いてもらってる子はだれかなー?」
「うぇぇ」
そんな設定だったとは知らなかった。これで私は家から出ていくしか選択肢がないわけだ。
仕方がない。歩いて、ちょっと日記のネタでも探してこよう。重たい気持ちで一歩目を踏み出す。
ぴしり。足の裏が裂けたかのように痛んだ。
「うごごごごご……」
その場で固まって、嫌な感触のあった足の先を折り曲げる。つま先を丸めた状態で歩かないと、何度も同じ痛みを味わうことになる。
痛いのは嫌いだ。
私の好きなことは楽しいこととぼーっとすることで、大変とかつらいとか痛いとかは嫌である。
若いうちの苦労なんて買う気もない。
自分自身が選択することだってしたくない。ただただ、許されるならずっと眠っていたいのだ。
満足するまで休めたら、私の「好き」を知らしめたい。
でも。
でもそれは……どうしてなんだっけ?
一瞬引っかかったことは、痛みと憂鬱にかき消される。
お出かけ開始一歩目にして、もう既に歩く気がなくなっていた。
◇
歩く気がないので自転車に乗ることにした。
季節は春で、生温い風が体に当たる。やたらと鼻がむずむずすることと、羽虫がわんさかいること以外は好みの季節だ。
私は手始めに近所の本屋に行くことにした。小さい店のため品揃えには難があるが、家から数分ほどなので利便性が勝る。
人気な作品はだいたい置いてあるから、流行りものが気になったときにはちょうどいいお店だ。
ついでに推しの漫画があればもっと嬉しい。そう思って店内を物色。
「──な、ない! 踊るリスポーンはまぁ仕方ないとして、いじヤバもタコピーの上巻も転生したら剣でしたもない!」
「ほぼマイナー作品じゃん」
「タコピーといじヤバはメジャーだもん」
「いじヤバは嘘でしょ」
ていうかななこちゃんいたんだ。
そう思って振り向くと、二頭身スタイルで彼女は私の肩に立っていた。脳内彼女じゃなくなってもできるとは驚きである。
「でもいいの? 財布の中あんまりお金ないし、今月いろいろ使いすぎじゃない?」
「バイト代が入るからいいのだ」
「え、バイトとかいつの間に?」
「…………その、ね」
どうやら、私が元々いた世界とは細かなところで違っているようだ。こちらの世界の私はバイトをしていない様子で、それでもまぁいいかと山積みにされた呪術廻戦の最新刊を手に取った。
どうせ買うでしょ。そう思って財布を取り出し、中身を確認する。一応一万円ほど入っていた。買える。ヨシ!
せっかくなので、漫画以外の本も確認する。小説のタイトルを眺めるのは好きだ。
といっても、私はライトノベル以外は基本的に買うことはない。そしてそのライトノベルも今ではほぼ買わないので、今のこれは「うぃんどうしょっぴんぐ」とやらである。
小説はもう、めっきり読まなくなってしまった。
たまに名作を拾い上げて読むくらいだ。といっても、「吾輩は猫である」は途中で読むのをやめているし、感性が子供なので娯楽を感じさせてくれる本しか読むことはない。刺激に慣れた現代人らしい、雑な感性である。
太宰で一番好きな小説が「畜犬談」というあたりでお察しだ。
劣等感の詰まった棚から目を逸らし、人気の本が陳列された棚を眺める。
そこで評価の高い日記を集めた本を見つけ、興味本位で一冊購入することにした。
財布の中から飛んでいったお金は、1500円ほど。財布を手提げかばんに放り込んで、私は自転車に跨がりながら日記集を斜め読みする。
「……ふーん」
目を通しながら、私はどこか頭が冷えていくように感じていた。
ぱたむ。日記を閉じて、鞄に放り込む。
「どうしたの?」
「なんでもない」
頭の上でごろごろしていたななこちゃんは、どこか私の思いを見透かしたかのように声をかけてきた。
「なんでもないよ」
言葉を続けられたくなかった。念押しの言葉にななこちゃんはむっとした様子ながら、何も言うことはない。
私は自転車のペダルを回した。ほどほどの速度で、自転車は進んでいく。
私は自分のことを没個性だと思っている。
なら、私が日記を書く必要なんかないじゃないか。私より面白い人はいっぱいいるんだし。
向いてないよ。
だから何もしないほうが良いんだ。人に見せるものを書くなんて不可能なんだから。
私は、誰かのための文章を書くことはできない。
私の文章はいつだって、私のためだけに書かれてきたんだから。
「お腹すいたー。飲食店って近くにあったっけ。店内で食べられるやつ」
「すき家しかないかな。ちょっと遠いとこにならいくつかあるけど」
「……面倒だ! すき家にいくぞー!」
「ひょっとして嫌いなの?」
違う。私の数少ない人に誇れる長所は、嫌いなものが少ないことである。食べ物のみ。
ただし。
現在の時刻、午後の四時。
「晩ごはん食べられるかなぁ……」
食生活の不規則さに、なんだか頭が痛くなる。
……なんて。
言い訳するように思考を切り替えた。
外出は、やっぱり好きじゃない。
◇
『話さないか?』
気づけば、街を見下ろしていた。
見覚えのある街だった。そこからの景色は見たことはないはずなのに、なぜだかとても懐かしく感じた。
ベンチに座った私の横に、顔も、声も、名前も覚えてないのに、知っている誰かが座っているような気がする。
「あー、夢オチかぁ。やっぱりね。転生なんて起きないんだ。人が死んだらそのまま死ぬだけ」
自嘲するように笑った。
つまりこれは、私が生み出した世界だ。
忘れて。
思い出そうとして、それでも目を逸らそうとしたからやってきた過去。
転生なんてしちゃいない。そんな救いがあるわけがない。
そうだとわかっていて、それでも死後に救いがあると思いたいのは、虚しくて意味を求めているからなのだろう。
夢が覚めるきっかけなんて、決まっている。
私が、私の核心を思い出そうとしているからだ。
面倒くさがりで、粗雑で、ありとあらゆることに対して適当なことなんて私が一番わかってる。
他の人たちのようにすばらしい創作意識なんて持ってない。
すぐに憧憬が浮かぶわけでもない。構図力が優れているわけでもないし、苦しみを伴うほどに真摯に向き合っているわけでもない。
それでも私が何かに取り憑かれたように、未だに創作をしているのは──なんでだろうか。
「ごめん。忘れててごめん。私だけが、私の中にいる君を思い出せるのに」
涙もろい性格じゃないはずだ。
だから、私は泣いてない。
私に泣く権利なんてない。だって、私はずっと楽観していて、いくらでも予兆はあったのに、何をすることもしなかったから。
だって、そうじゃないか。私にとって死ぬとか、生きるとか、そういうのはフィクションの中の出来事でしかないはずだったんだ。
だから、私は私のための文章しか書けない。
生きるとか、死ぬとか、辛気臭いやつだと思われようとも、それでも私が書かなきゃいけないのはそれなんだ。
「フィクションの中くらい、愉快で穏やかなハッピーエンドがほしいって思ったんだ」
最後まで希望を持ち続けていたい。
どれだけ間違っていても、どれだけ善でも悪でも関係はない。
ただただ、幸せな結末があること。いくら暗くても、辛気臭くても。
そんなのを感じさせないくらいに誰もが馬鹿馬鹿しいことを楽しんで、それで最高に幸せになる。
それが一番だと思い続けている。
「だから、君から生まれた私の文章で、私の絵で、私の作った何かで──世界を今より、ちょっとだけ良い形にしたいと思っちゃったんだよ」
みんなまっすぐ前を向いていても、世界が正しく回るように。
そんな世界にしたいと思ったんだ。
それは忘れてしまうくらいには、遠い記憶の中の話なんだけど。
けれどたしかにあるんだ。続ける理由のようなものが。
私は私のための文章しか書けない。
だから、これを読んでいる人には本当に申し訳なく思う。
こんな私の長ったらしく回りくどい自分語りを読まされているのだ。私だったら目も当てられないかもしれない。
けれど知っておいてほしかった。私という生き物が、一体何に取り憑かれて、創作なんて病的なことをしてるのかってことを。きっと誰にだって理由はあるはずで、そして私にとってはこれが理由だ。
語ると嘘くさくなるから、私の中に秘めていたけれど、それだと忘れてしまうのならば。
せめて夢ってことにして、少しだけでも吐き出したかったんだ。
別にお前のことなんて知りたくないって言われたら何もいえないんだけど。
もしも。
もしも私のことを知りたいっていう人がいて。
それでこの話を見て、それで何かしらの好奇を引いて、私に好意的にいてくれる人がいたら。
そんなあんまりに優しい人がいるなら、私が筆を折るときになるべく酷く責めてほしい。
なんて、面倒なことをお願いしたかった。
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日記。
◇
目覚めの気分は良くはなかった。
そりゃあそうだ。自分が死んだなんて夢を見ていたのだ。すぐ生き返りはしたが、はじめは本当に肝が冷えた。泣きそうだった。ていうか目尻に涙の跡がある。泣いてた。
嫌な夢である。寝汗で髪が貼り付いて、今の季節にはひどく冷たい。
「っくしゅ──風邪引いたり、しないよね……」
大丈夫。バカは風邪を引いたことに気づかない。
38℃の高熱でも気づかず友人と遊んでいたことのある私だ。ちょっとの風邪くらい問題はないはず。
ななこちゃんが隣で眠っているのを、起こさないように布団から抜け出す。
このななこちゃんはやっぱり脳内彼女そのもので、私以外に干渉はできないようだ。わずかに触れたが、感触は薄い。
私の五感エミュレートの限界である。
「そういえば、カエシ・モガアブフってなんなんだろ……」
顔洗い、歯磨き。いつものように作業机に向かって、パソコンを起動する。
しながら、謎の呪文のような言葉について思い返した──そこで、ふと思い出す。
『帰れないんですか?』
『えっ』
『死んでる?』
『もしかして、死んでるんですか私……?』
『ガチで言ってる……? だとしたら病院に行ったほうがいいと思うけど……』
『あり得ないでしょ、死人が喋ってるなんて。それに私にこうして意識があるなんて、現実じゃ起こり得ないことじゃないですか』
『無様な話ですね、そうだとしたら。でも状況には沿ってるし、納得はできました。したくなんてなかったわけですが』
『……ふーん』
「……そんなのわかる?? なんで頭文字つなぎあわせて単語にしてるのさ」
私の無意識って思ったよりもすごいのかもしれない。
ちょっとだけ自信が出てきた。
さて、PCのモニターで動画と資料を表示しつつ、私は一本のシャーペンを取り出した。
最近使うことはなくなっていたけど──こんな夢を見た日くらいはいいだろう。
たった三つだけ存在する、思い出補正のあるシャーペン。
それは100円で買えるもので、手持ちのほとんどのシャーペンよりもちゃちなもの。
私がずっと忘れちゃいけないもの。
私が持ち続けなきゃいけないもの。
もう今となっては使いづらく思ってしまうんだけれど。
それでもきっと一生付き合い続け、星を掴むような夢を描くのだろう。
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