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英訳詞で深める中島みゆき1 『はじめまして』

はじめに

ここでは、「英訳詞で深める中島みゆき」と題して、中島みゆきの公式英訳詞を読むことで広がり深まる中島みゆきワールドについて共有したいと思う。
5月に一人で楽しんで、半分くらい下書きしてあったのだが、気づけばもう8月も下旬となってしまった。先に述べておくと、今回扱うのはアルバムではなく楽曲の『はじめまして』である。また、注目するのはあくまで英訳詞から得られ深まった解釈についてであり、私の『はじめまして』に対する熱い思いを押しつけるものではない。

中島みゆきのアルバムには、1996年発売の『パラダイス・カフェ』以降、歌詞カードに英訳詞が挿入されている。また、2008年にはファン投票で選んだ30曲が収録された『中島みゆき 和英歌詞集』がヤマハミュージックメディアより出版されている。いずれも訳者は本人ではないものの、和英歌詞集には、中島みゆき本人が監修した旨が明記されている。

しかしながら、私は今まで英訳詞について、単純に英語圏の方のためのものだと思っていた。そして大変失礼ながら、公式とはいえ読んだところでどうしても日本語で受けたイメージと意味のニュアンスが変わってしまう部分をどの程度信用して良いのかが分からず、さすがみゆきさん、ワールドワイドだなーなどど思いながらもほぼスルーしていた。。。

ではなぜ英訳詞に注目するようになったかというと、一言で言えば、2020年2月6日発売の『ダ・ヴィンチ』と「ほぼ日」共同企画の糸井重里さんとの対談において、中島みゆきご本人が「(英訳詞には)ヒントがたんまり」と仰ったからである。
対談の内容はこちらの「ほぼ日」のサイトで読むことができる。ここでは割愛するので、まだ読んでいない(英訳詞を読むインセンティブを知らない)方は、先にこちらを読むことをオススメする。(記事は分割されていて、リンク先は「第5回」のページだが、「第3回」でも英訳について触れられている。)

もう読むしかない

こんなことを言われたら、もう英訳詞を読むしかないのである。

正直なところ、私は、中島みゆきが英訳詞にヒントを込めていることと、それを明らかにしたことに対して、いささか驚き、胸騒ぎがした。なぜなら、英訳詞によって主語や述語をある程度明らかにしたり、意訳によって新たな発見をさせたりすることは、聴く人や状況によって変化する中島みゆき自らの卓越した詞の意味を、別の言語によって限定してしまうことになり得ると思い、それを怖れたからだ。
(※私が知らなかっただけで、英訳詞の存在について言及したことは以前にもあったようだ。)

しかし、寧ろこれはそんな中島みゆきだからこそできることとも言えるのかもしれない。愛は溢れるばかりであるが(笑)、ここではその辺の思いは割愛する。
とにかく、実際に英訳詞を読んでみると、英訳詞からもう一度日本語の歌詞に頭の中でフィードバックさせることで、冒頭にも書いたように自分の中で中島みゆきの世界がより一層深まることを実感することができた。
とは言え、私はまだ公表されている全ての英訳詞を読んだわけではない。新たに読むのはワクワクとソワソワが入り混じった非常に緊張する時間である...。

『はじめまして』の「悲しい人」について

さて、前置きが長くなったが、今回私が語らずにはいられないと思ったのは、楽曲『はじめまして』について、特に、以下に引用した1番のフレーズにある、「悲しい人」についてである。

枯れた枝 落とすように
悲しい人を 他人のように忘れてしまう

『はじめまして』は、アルバム『はじめまして』(1984)と、自身の過去の作品を再録したアルバム『いまのきもち』(2004)に収録されている。先述の通り中島みゆきがCDに初めて英訳詞を入れたのは1996年のことである。『いまのきもち』に収録された『パラダイス・カフェ』以前の作品は、ここで初めて英訳詞が公開されたことになる。『はじめまして』は実に20年の時を経て...と考えるとなんだか感慨深い。

さて、当該部分の公式英訳詞は

Like dropping a withered branch
I’ll forget the one who makes me sad
As if I‘ve never met him

とある。

これを再度日本語に直訳してみると(私訳です、ご了承ください)、

「しおれた(枯れた)枝を落とすように
私は、私を悲しませる人のことを忘れるでしょう(忘れます)
まるで彼に会ったことが一度もないかのように」

となる。

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再訳にあたって、ザっと文構造を示すとこうなる。
軽く文法的解説を加えてみるので、分かる方は飛ばしてください。もう興奮してますよね!?(笑)
文全体の主語と述語は"I'll forget"(=私は忘れるだろう(忘れます))。何を忘れるかというと"the one"(=~な人)を忘れる。そして、その後のwhoは主格の関係代名詞であり、who以下は、"the one"とは[どんな人なのか]を説明している。ここでのmakeは、"make +O+C"という形で「OをCにする」という意味だ。つまり、「私が忘れる」対象である"the one"とは、"me"を"sad"にする人、すなわち「私のことを悲しませる人」となる。
ついでに、"Like~"と"As if~"は[どんな風に忘れるか]の説明である。(歌詞では大文字になっているが文法的には一続きの文である。)ここでは"As if"の後に経験を表す現在完了形が使われている。
(英語が得意~ってわけでは全くないです。細かいところ間違えてたらすみません。)

引用時に太字で示したように、「悲しい人」に対応しているのが”the one who makes me sadである。
つまり、このフレーズの「悲しい人」とは、「私のことを悲しませる人」だったのだ。
また、歌詞は「忘れて"しまう"」だが、"I'll forget"から、自ら肯定的に忘れるという意志のニュアンスも捉えられるかなと思った。

解けた勘違い

私は今まで、「悲しい人」を漠然と「悲しんでいる人」だと捉えていた。
そのため、そんな人のことを、「枯れた枝 落とすように」、「他人のように」、つまり他人だと切り捨てて「忘れてしまう」という表現は、(歌の語り手を大いに含めた)人間の愚かさのようなものを含んでいるものだと思っていた。簡単に言えば、「悲しんでいる人」のことを見て見ぬ振りして「忘れてしまう」現実を私達に突きつけているように思っていた。(『顔のない街の中で』と似た類いの世界観だと。)

私は、この曲を、歌詞全体の意味の繋がりは特に気にせず、気持ち良いなあと思いながら、無意識的にサビ前とサビをそれぞれ独立させて聴いていた。
しかし、この解釈だと簡単に言えば「忘れてしまう」ことは悪いことであるので、

はじめまして 明日
はじめまして 明日
あんたと一度 つきあわせてよ

というサビの歌詞(これは1番、2番、3番全てで歌われており、比較的言葉数の少ないこの曲の大部分を占めている)との繋がりに矛盾が生じるとも言え、引っかかりも覚えていた。
(とは言えこの曲を実際に聴いているときには、歌詞の意味を噛み締めるというより曲の持つ推進力に大きく心揺さぶられていたのだが)、
その引っかかりが自分の中で何となく大きくなってきていたこと、そして、、あの"ラスト・ツアー"のアンコールの最後の曲がこの『はじめまして』であったことから、より深く味わいたいと思い、英訳詞を読んでみたのだ。

見事な勘違いであった。

そもそも、中島みゆきが、「悲しんでいる人」のことを「悲しい人」だと言うことなんてあるだろうか!私はないと思う。英訳詞を読んで勘違いが解けたとき、私はそれに気がつき、唸った。
勘違いの意味も好きだったので正直なところ少し残念な気持ちもあったのだが、「悲しい人」の意味が、平たく言えば「忘れてしまう」ことを肯定できるものだと分かってかなりホッとした。私の中で1番のサビ前の歌詞の意味は大きく変わり、改めて大好きな曲になった。
『はじめまして』に吹く前向きな風が、一段と強くなった気がした。

個人的なエピソードだが、小学生のとき、学校で身体障害を持った方の講演があった。彼は、自分が「かわいそう」だと思われることを非常に嫌がっており、講演で彼は自分が「かわいそうな人」ではないことを伝えてくれた。私はそれがとても印象に残り、それから「かわいそう」という言葉を安易に使うことは避けている。そして、寧ろ、傷を負った人を「かわいそう」としか見れない人こそが「かわいそうな人」なのではないかと思っている。

「悲しい人」の勘違いが解けたとき、私はこのことを思い出した。「悲しい人」とは決して「悲しんでいる人」のことではないんだと。

「あんた」とは誰か

今回は「悲しい人」に注目したし、私が伝えたかったのもそこなのでその他の解釈に深く言及するつもりはない。が、せっかくなので最後に少し、あくまでドライに、「つきあわせてよ」の対象を見てみよう。
先に引用したサビの英訳詞を見ると

Nice to meet you, Tomorrow 
Nice to meet you, Tomorrow
Please keep me company just once

とある。
この文が"Tomorrow"に対しての、"Please"を伴う命令文になっていることが分かる。"keep company"は「(~と)付き合う」という意味であり、"me"はその目的語だ。
つまり、あくまでも英訳詞からの解釈に限定して言えば、「あんた」とはストレートに「明日」のことであると言えるだろう。


『はじめまして』では、「私のことを悲しませる」クズ男(仮)を「悲しい人」と言って吹っ切り、そんな奴には縛り付けられず、「明日」に「はじめまして」を告げ、「つきあわせてよ」と歌っていたのだ。
『はじめまして』は、ひたすら前を向いている。前に進んでいる。

おわりに

随分と長くなってしまった。ここに書いたことは、英訳詞を読むことで得られた自己満足であり、これが絶対正しいと決めつけるつもりも押しつけるつもりも全くない。
また、正直、『はじめまして』は、「難しいこたァ抜きにして」特別なポケットに入っている曲で、普段こんな風にブツクサ考えながら聴いているわけではない、ということだけ言わせてください(笑)
とにかく、公式英訳詞を読んで深まった解釈と、勘違いに気づいたことで改めて知った中島みゆきの魅力について共有したかったのだ。お手柔らかに読んでいただけていたら幸いです(笑)
(そもそも「悲しい人」の勘違いは一般的な解釈だと思っていたのだが…どうなんだろう…)

また、拙い解説も少ししてみたように、英訳詞を読むことは立派な英文法、英単語の勉強にもなる。「中島みゆきを英語で学ぶ」ってのはおこがましくても、「中島みゆきで英語を学ぶ」なら皆で楽しめそう。なんて贅沢!そんな授業があれば良いのになあなどと思いつつ。いや~素敵な学び舎。ありがとうございます。

なんだか最後が尻切れトンボですが。この辺までとします。読んでいただきありがとうございました。

(参考文献)
総合英語be [New Edition](平賀正子監修、いいずな書店、2013)

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