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2014年35歳で結婚、2021年40歳で離婚予備

2020年12月末。「もういいでしょもう無理」と言われてから数日、何かにすがりたくて寂しくて辛くて、ドキドキして、この気持ちや今思う事を書く事にしました。これまでの私の人生はとんでもなく適当で人任せでどうしようも無い、私以上にどうしようもない人なんている?と自分でも思えるほどのどうしようもなさ。全てにおいて。離婚直前になり半自暴自棄で人生を振り返りここにそれを記します。

18歳、社会に出ると。

18歳。私が選んだのはパチンコ屋の契約社員。
オープニングスタッフとして募集があるのを見つけ応募⇒採用。周りも同い年位の人達が多く楽しかった。
その頃、母に彼氏が出来、同居し始める。
私はまだ子供だった。だから母のその恋人が嫌いだった。
すぐに家を出たくなりお給料を貯めて一人暮らしを開始。

この一人暮らしが物凄く楽しかったんだよね。だって好き放題。お給料も手取りで24万円位あったし使いたい放題。
そしてすぐにアルバイトで来ていた同い年の大学生の彼氏が出来たので毎日のように私の部屋に帰宅し楽しんでいた。

でも私は契約社員としてフル勤務。
彼は大学生のキャンパスライフがメインで
生活の時間や考え方が合わなくなって言った。好きな気持ちがあるうちはお互いがお互いを思い行動出来ていたので成り立っていたけど次第に優しやさ思いやりがなくなりすれ違い。別れることに。

でも依存体質な私は上手く別れることが出来なかった。
もう終わりにしようという彼にすがりつきストーカー状態。
1階だった彼の部屋のベランダに忍び込みそこで夜を過ごした事もある。
どうしようも無くなった時、もう無理なんだとわかった時部屋に戻り薬を大量に飲みます。
死のうと思ったのか迷惑を掛けたかっただけなのか今ではあまり記憶に無いんだけど
ワインを1本買ってそのワインで薬を流し込む。60錠くらいかな。
頭もクラクラしてそのまま眠りに着くのですが中学校の時の男友達に意識が遠のく寸前に電話をしていた。
呂律が回ってない私を心配し部屋に駆けつけてくれたとの事。

後日聞いた話では部屋はエアコンでキンキンに冷えていてそれなのに私は汗でびっしょりになってベッドに横になってたらしい。

その彼が救急車を呼んでくれてそのまま病院へ。胃洗浄をして数日入院となるのですがそこでも点滴を勝手に外し、逃亡。すぐに捕まり病院の先生に
夜中ずっと話を聞いてもらったり、
ある時は暴れたり。そんな数日間の入院。
母は同じ部屋の方に、この子夜ずっと暴れてたよと言われてなんとも虚しく悲しく申し訳ない気持ちになったと聞いた。

そして、退院後、実家に戻るのですが一人暮らししていた部屋に戻りたいと、とにかくうるさかったそうで、男友達の監視のもと戻ることに。
その時の事で唯一覚えている事は私が実家の玄関を出たあと「うわぁぁぁーーーん」と物凄い泣き声が聞こえた事。
母の声だと思っていたけどあれは妹の泣き声だったと聞かされる。

そして部屋に戻り私がした事。元彼に連絡するのです。
とにかく1回来て欲しいとか何とか言ったと思う、実際はちゃんと覚えてない。そしてその彼、なんと女連れで登場。
そしてその女が発した一言でまた私は落ちるのです。
「なんだ、大した事ないじゃん」部屋に座っている私を見て発せられた女の一言。
私は泣きじゃくり呼吸困難になりとにかく修羅場。男友達が女を連れ一旦外に。そして元彼と話をして結局別れることに。その修羅場も何となく終わってその日の夜また薬を飲むのです。

まだ18歳の私の人生…今こんな風に書き綴ってみると本当にダメダメですね…。母が可哀想…。これで終われなかった自分に腹が立つ。

一旦ここで閉めさせてください。また夜にでも書きます。
なんか若い頃の事を思い出したら胸の真ん中あたりがギューってなります。


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