株分け
息子が6年ぶりに正月に帰省していた。学生時代はスーパーでバイトしていて休みもなかったが、今年は年末早めに帰っていて、今日、帰宅。
11泊2日!!長い!!
こんなに長い時間を家で過ごすのは無かったので、毎日がみんなパーティーモード。酒に料理にレジャーにと散財。
うまい汁を吸って息子は今日帰って行った。
最終日の昨夜は私の妹が我が家にひとりでやってきて、2時までしゃべって帰っていった。大きなイビキが時折聞こえる。
初孫の息子をこよなく愛している母は正月おせち料理をつつきながら、一緒に焼き肉を食べながら、サイゼリヤの辛味チキンを食べながら、孫のそばでラジオのように、呪詛のように、虚空に向かってしゃべり続けた。「お母さんが寂しがってるからもっと帰っておいでよ。母子家庭で苦労したんやから。」
ここまではこれまでの帰省とあまり変わらず。
変わったのが以下の部分。
友人の死を正月に知らされた父はこれまでは昭和の男を代表するゴリゴリさんだったがずいぶん丸くなった。
そして私の家での三角関係を気にかけていた。
三角関係とは何かというと、息子のいない間に私は男と共棲みをはじめていたのだった。もちろん息子には伝えていて、何回も顔合わせているし、家にもかえっているのではあるが、連日、ひとつ屋根の下、どんな風に生活するのか…。
緊張感のあるなか、共棲みはんは最大限、尽くしてくれ、息子は終始従順に過ごしてくれた。
一生懸命もんじゃ焼を焼いてくれた共棲みはん、勧められたビールを「んじゃ」とよばれている息子。それを横目で見ながら、好きなものを好きな量で飲んだり食べたりしている私。
夜中、こっそり息子とおしゃべりしていた時にこんな言葉が。
「実は数日前から気になっててんけど、ものすごいイビキやけど、あれ大丈夫?途中、止まってない?心配。」
「うん。私も慣れてんけど、時折、心配。いつも生き返るねんけど。」
ああ、正月、無事に過ごせて良かった…。
6年の間に変わったこと、変わらないこと。
むすのいない正月。
むすのいた正月。
私も変わったし、家だってずっと同じ仕様でもなく、新しい人も増えた。じいさんばあさんは歳をとったし、従兄弟たちは今年大学生と中学生。
みんな少しずつ気を遣いながら、でも好き好きにやりたいことをやり、言いたいことを言いあえる関係でありたい。またメンバーが増えたとしても、減ったとしても。
最終日、タンクブロメリアの次男(写真中央)を息子と株分けした。沖縄まで手持ち荷物で持って帰ってもらう。
早く株分けし過ぎて小ぶりな長男(写真左)と母親(写真右)は我が家で引き続き育てる。なんとなく母株が若返ったようだ。
あっちでも楽しく過ごしてくれ。