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吉原幸子 「戦国群盗伝」ロケーション随行記

詩人の吉原幸子が1963年の詩壇デビュー以前の結婚時代に書いた映画ルポ。

雑誌『映画ファン』1959年7月号に「ロケイション見てある記」の題名で5ページにわたって掲載されたもの。当時の本名「松江幸子」の筆名で書かれています。

『映画ファン』1959年7月号 表紙

この当時の夫であった松江陽一が東宝で助監督の職に就いており、静岡でのロケに9日間同行。写真も吉原幸子自身が撮っています。

掲載誌の『映画ファン』は、洋画専門の『映画の友』の姉妹誌の日本映画専門誌で、発行元はどちらも映画世界社でした。

ここの社主である橘弘一郎氏は吉原幸子の叔父にあたる人物(母親の末妹が橘夫人)であり、先の結婚の世話人のひとりでもありました。(もうひとりは東宝の藤本真澄氏)

※ note「浦さんのはなし」https://note.com/kaerujun/n/n2749404cea9bを既にお読みになった方はお気づきかもしれませんが、あの記事の中で私がみなもと太郎先生にお見せした披露宴の写真の新婦↓が吉原幸子です。

おそらく橘氏から『ウチの臨時特派員の肩書きで行ってこいよ。原稿書いたら載せてやるから』というような、“ご祝儀代わり”のような話があったのではないかと思われます。

結果的には『吉原幸子が吉原幸子以外の名義で書いた、唯一の20代での発表原稿』になりました。
なお今回は記事の前半は残されていた手書きの草稿から、後半は『映画ファン』の掲載ページから再構成しています。

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22年ぶり再映画化という東宝映画「戦国群盗伝」のロケが、4月15日から御殿場・伊豆で12日間にわたって行われました。

昭和12年といえば、若い読者なら生れたての頃、評判の前作も記憶にない方が多いかも知れません。物語は戦国の頃、城主の息子土岐太郎が弟一味の陰謀に城を追われ、友となった浪人甲斐六郎と共に野武士団を指揮して城を奪い返すまでの波乱万丈、シラー「群盗」の翻案で、前作は山中貞雄脚本、滝沢英輔監督、前進座総出演。今回は前作で助監督のサードを務めていた黒澤明潤色、杉江敏男監督、太郎に鶴田浩二、六郎に三船敏郎という顔ぶれです。

この野武士団の活躍する場面が、先ず富士裾野「大いなる東部」の広々とした風景の中に、ロケだけの為、延べ数百頭の馬、千人を越えるエキストラという雄大なスケールを以て展開されるというのです。

さて、記者の着いた18日は上々のお天気。四、五軒に合宿するロケ隊は8時に勢揃いしてバスに乗りこみます。暗いうちから作られた二百に近いお弁当も、オート三輪につまれ、三台のバス、数台のトラックと共に現場に向かいます。

十分ほど乗るともう荒野のまっ只中。緑の目立ち始めた野面一ぱい草木が風になびき、雪を残した富士に雲がかかって光っています。
初めに御用金の行列が野武士に襲われるシーンが撮られるのですが、土地のエキストラに衣装をつけるのも一仕事。眼鏡のままの人、丸首シャツを覗かせた人、野球帽の上から陣笠をかぶる人まで現れて、助監督さんもお手上げです。

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中丸忠雄(新人のころ)、松江陽一

鶴田さんは馬が苦手だと伺いましたが、いよいよ本番となると、きっと馬首をめぐらして野武士を追っかけようとするあたり、どうして颯爽 としたものです。下りていらして「どうや、今のうまさ」とお得意なので、杉江監督がすかさず次の注文を出すと「あ、そりゃあかん」と急に心細いお返事。

もっとも乗馬にかけては第一人者の三船さんでさえ「馬はおっかないよ。何度も落ちた」との事。何といっても身体が命の俳優さんですから、慎重にすぎることはないでしょう。なにしろ、見た目はなだらかな丘や野原ですが、穴だらけで足場の悪い所を、初顔合わせの馬で、全速で走ろうというのだから大変な仕事なのです。

乱闘の数カットがあって昼食。スタッフもキャストもみんな同じおにぎりと、バケツからひしゃくで汲まれる豚汁を丼で吸います。

食後、近くの丘のふもとに移動。くっきりと空に抜けた稜線の向う側から数十騎が湧く様に現れると、斜めにこちらに駆け下りて来るのは壮観です。休む間もなく、今度はバスで移動して別の凹地、ここで野盗たちが赤鎧の義賊に変じてからの活躍を数カット。赤い旗指物を風にひるがえしての襲撃はひとしおの力強さです。

この「赤い野武士」というのが新脚本での大きな変り目、色彩効果を考えての、如何にも黒澤さんらしい強烈な狙いで、前と読み比べると興味深いところです。ついでに比べるなら、お姫様のひく琴糸が不吉な感じでぷっつり切れるカットとか、田舎娘・田鶴の「盗んだ者からは盗んでいいという考え方が変よ。それでは世の中は泥棒ばかりになってしまうわ」などというしっかりした批判、兄を陥れた次郎が恋と罪の意識に狂乱する場面など、前作に全く無いところ、やはり「黒澤好み」の味なのでしょう。

乱闘の舞台には、大道具さんが灰を撒きます。これは土埃の感じを出すためで、本物では重くてよく捲き上らないのです。この映画には、つづら位の「灰箱」に何と83杯も持って来たそうで、この灰を作るには、係の人達が厖大な時間をかけて、藁や木くずを焼くのです。夜中風が強かったりすると火が心配で眠れないそうで、埃一つでも全く大変な苦労の産物です。それも散らすとよく立たないし、固めて置くと馬が習性でよけてしまうのでむつかしいとのお話でした。

やがて日も傾いて立回りも今日はここまで。敵も味方も、汗と埃にまみれた身をバスに托します。

19日は朝三時出発、タイトルバック「朝焼けの富士」の撮影です。黒々とした丘のふもと、合図の懐中電灯がチラチラ動き、三々五々集まってくる馬。ドラム缶で焚火をしながらスタッフは日の出を待ちます。

やがて富士の中腹にうっすらとピンクがさすといよいよ開始、丘の上に群盗が数十騎シルエットで現われ、延々とつながって横に縦にと走る美しさはまさに一幅の名画です。

午後、古い松並木の街道に移動、ここへ西野プロデューサーが見えて一同を激励されました。「映画は進歩している。前作の古さ、画面の制約を破り、濃厚な黒澤さんの脚本を、近代的な軽いタッチの杉江さんに任せて『新しい時代劇』を狙っています」
……などと記者がお話を伺っているうちに急に日がかげり、カメラの鈴木さんから「これは、東京から雲持参でいらしたな」と冗談が出ます。すっかりここの天気をのみこんでしまった三船さんあたり「ああ、これが御殿場らしい天気って奴よ」と悠然たるもの。暫く待機の末、結局中止になりました。

翌20日もやや曇りがちで、半袴をはいた足軽さん達「すずしいなあ」と妙な顔。すかんぽを食べながら見物していた土地の子供が「どっちが勝ったァ?」とお母さんにきいています。三船さんは白馬の上で大奮闘、一度部下の馬と衝突して転げ落ちても又平然と跨がって続きを演じられます。

ひとりおいて吉原幸子、三船敏郎、杉江敏男監督

それから中日向という鄙びた村へ移って、「赤鬼」たちが村人に米を興える件り。こういう村にも電柱やトタン屋根があって、それを隠すため、竹や立木を適当な場所に植え、直さなければなりません。この終り頃からぱらつき始めて、

21日はとうとう雨。

こんな日の暇つぶしの修業からか、パチンコの名人は数多く、メーキャップの小林さん、スチルの泰さんなど、意外な辺りも煙草の山を築いている模様です。ついでに麻雀の横綱を調べるとこれも多いのですが、「若旦那」こと鶴田さんがやはり一方の雄らしく、負けるとクサったり、野球で阪神の成績が悪いと御機嫌斜めだったりする稚気がかえって周囲の人気になっている不思議なお人柄です。

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三船敏郎

「俺はぽんぽんいうてる時が無事なんや」と自分でも云われると、三船さんが「あんた、怒ってんのね」と歌のもじりで笑わせる、という調子。全くこのお二人は対照的な顔合わせですが、こうして何日か拝見していると、それぞれに人を惹きつける、二大スタアのやはり魅力というか、さすがです。

出を待つ間、山をにらんであぐらを組んだ「静かなる男」三船さんは、とても駄洒落の名人とは見えませんし、しかも豪傑肌の見かけに似合わぬ細かい心づかい。威勢の良い鶴田さんは又、ばかに真面目なお顔で眠狂四郎の孤独について話されたりする面もあり、ただお二人ともお子様の話では変わらぬ親心を見せるあたり、スタアも人なり、と安心させられます。

22日。先日の続き、街道筋の太郎・六郎の歩きです。カメラマンと監督さんが「バストバストで、裏ナメ位でどうです」などと奇妙な言葉で打ち合わせ。助監督さんや人夫さんが折角道のわだちを消しても、国鉄の不通とかで、代用バスがあとからあとから通ってしまいます。

暗い並木の影などでは、殊に照明部が大活躍します。「光プロダクション」と自称する係の人たち。銀レフ、羊羹レフ(羊羹の中包みの様な反射の強い銀紙)、鏡などをあちこちにかざして、どんな暗い所、逆光線の所にも太陽の子供を生んで行くのです。しかも自然光とのバランスを崩さぬ事が大切で、これが破れるとどぎつい、まとまりのない画面になってしまうのだといいます。撮影にはあらゆる時、なくてはならない存在で、それだけに大所帯だし苦労も大きいのです。

午後から曇って早めに引揚げ、夜はラッシュ(今までの分の試写)、ハネた後の映画館に皆どてら姿で集まって「えーアイス」などと声色を使ったり、仕事と云っても和やかなひとときです。
三船さんは暇な時にはよく近所で古い二本立てなど見られる様子。この日も西部劇で馬ばかり目についたとのことでしたが、ラッシュでは日本の馬もよく走っていました。

小杉義男、千秋実、三船敏郎

23日朝のうちは雨でしたが、午後から突然上がり、山の天候らしくあっと言う間にまぶしい程の陽の光、つまりピーカンという訳。急いで出動、三味線林山と言う小高い丘でラスト・シーンの撮影です。

頂上は息のつまりそうな強風、録音部の方が、穴の中から首だけ出して風をよけながら平地の本部と無線連絡。裾野の広さですから、カメラと出演者が800メートルも離れているので無線機が必要なのです。
風までがラスト・シーンらしい効果をあげて、男性的な荒いタッチの大自然、いかにも壮大な感動的な幕切れとなりそうです。

24日、強風。若殿の扮装の鶴田さんはそれが終わるとバスの中に入って野武士に早変り、自動車にカメラを二台乗せ、街道などでの数カットで御殿場周辺の撮影は全部終了。夕方から次ぎのロケ地、伊豆に出発。

25日、伊豆の第一日は快晴。五本松と言うところで、鶴田さんはサーカスのブランコ乗りよろしく、木の上からつたで飛び下り、下にいる馬の背にまたがると言うシーンですから大変です。鶴田さんが、ちょっとためらっていると、どこからか「デパートより低いぞ!」とヤジが飛ぶ。それでも見事OK。通りかかったバスも止って見物は増えるばかり。

午後は韮山へ移り、司さんが扮する山娘、田鶴の家のシーン。
谷に落ちて傷ついた太郎を助け、手当をするうちに恋が芽生えるという田鶴。脚本では山猿と愛称される娘になる司さんは運動は得意というだけあって木登りも難なくやり、「たまにはこんな役もうれしいわ」と楽しそう。
彼女はお話をすると女学生のようなフランクな感じ、昨夜、東京から来たので誰よりもお元気で、「映画のお仕事は楽しいけれど、物を見る範囲が限られることと勉強する暇のないのが残念です」と語る向上心にみちたお嬢さん。

司葉子

26日、渓流のほとりのラブ・シーン。この日は「擬似夜景」、つまり光りをしぼって昼間なのに夜のシーンとしての撮影、太郎と田鶴の語らい。

松江陽一、鶴田浩二、司葉子

撮影が次ぎ次ぎと順調にすすむうちに、杉の苗が荒されると地元の抗議があったり、司さんがぶよに刺されるので泣き顔をしたり、芝居で投げる石が飛んでレフを持っている人がびくびくしたり、演出に夢中になって足もとに気がつかなかった杉江さんが茂の中の穴にすっぽり落ちて見えなくなってしまったり、いろいろな目に会いながらも、この日一日で何んと43カットを撮り終るスピードぶりで、明日はいよいよ東京に帰ることになりました。

全員がほっとしてバスに戻ると、車掌さんが皆さんの労をねぎらうように、クローバーの花輪を編んで待っていましたので、皆さん子供の様にそれを持って大喜びでした。


この映画はお盆ごろの公開予定とされていますが、暗い映画館の片すみで皆さんと一緒にこれを見る時、皆さんがこのつたない文章からお感じ下さった撮影の苦労や、画面に写らない様々なことをふと思い出して下さるなら、映画はますます感動の大きな、ますます楽しいものになることと思います。

(本誌・臨時特派記者) 松江幸子

(了)
2023年1月21日公開

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草稿
三船敏郎、吉原幸子、鶴田浩二(モノクロ写真に自動着色)

なお、「戦国群盗伝」は《黒澤明DVDコレクション》38号として2019年6月18日に朝日新聞出版から発売されています(書店売り)。
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=21080

吉原幸子ページ(Facebook)
https://www.facebook.com/SachikoYoshihara1932

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