日記未満: カネオくんと幸せな今まで
土曜日のブラタモリが終わった後に始まるカネオ君がどうこうした有吉の番組、先日は宝島社と小学館の学年誌のそれぞれ付録が付いて売り上げが上がる話だった(NHKなんで宝島社とか小学館とか言わないけれど映像でほぼ誰もが特定できる(建物の社名が映る等して))。雑誌に付録を付けて売る先鞭は何処が付けたのかちゃんと調べてないので分からないけど(そもそも学年誌や学習誌は半世紀以上前からやってるよね)、今の流れの代表格はとにかく宝島社だ。番組は宝島社の該当事業部の編集長が出た。それらの話は割愛するけど、要するにこの付録付き雑誌は付録を売るのであって付録の部分が本体で雑誌部分はむしろおまけだ。説明書き程度に成り果ててるものさえある。狭義の意味で雑誌とは、最早言えない(=勿論、既存の定期刊行な雑誌にも付録が付いてることが多いけど、こっちは本誌部分のボリュームは普通に雑誌のテイだ)。要するに書店流通を使った物販である。売り上げが上がって出版社も書店もwinwinだと言うけど、これらが売れても紙の雑誌(及び書籍)の復権には全く繋がらない。その観点から行くと実態はトホホな話である。ついでに言うと売れたという部数がせいぜい10万部に届くか?程度。ムック扱いで1000円越えのモノかもしれないが、かつて私が雑誌でいっぱい描き散らかしてた頃は40万部〜70万部って世界だった。パイが小さい。
小学館の学年誌の付録は宝島社のソレとは違い、グリコのおまけ的なキャラメル(本誌)も食べるけどおまけ(付録)も楽しみな感じのクリエイティブの印象で雑誌感は薄くないので好感は持った。
電車に乗ると座席に座った一列(7人かな?)の内、5人くらいはスマホを使ってる。ゲームや動画、sns、メールとそれぞれだったりするが、かつてはこれが雑誌や週刊誌、文庫本だったかも?と思うとやはり、紙の出版の現状は暗澹となる(電子にシフトが今以上に進んでもさほど変わらんだろう。他の時間潰しが主流になってしまっているのだ)。
尤も、自分も雑誌、買わないんですけどね随分前から。献本はかつては結構な数があったし。自分で買うのはパソコン誌位だったんだけど月刊アスキーやモバイルプレスとかが休刊してから初心者向け的なのか技術系位しかなくてコンピュータサイエンスをエンターテイメント的に読めるような雑誌がなくなったから。
出版社はもう従来の出版を続けるために他の業態で利益を得ないと存続出来ないのかもしれない。劇団員が日々の糧をバイトで得てそのお金を劇団に費やすように、バンドマンがライブするためにバイトするように。確か、テレビ局も不動産開発的な事業が売り上げのそれなりの割合を占めてた気がする(お台場やら汐留やら)。
↑単純化が進み過ぎたうる星やつらのラムちゃんだちゃ(復元するときっと深田恭子
ある人のnoteにコメント付けてふと思った。自分は人に怒られたり嫌われたりするのは、自分でそんなこといいやって思ったら割にヘーキである。もちろん無闇矢鱈に嫌われたり怒られたりしたくはないので注意は結構しているつもり。でも、仕方ない事ってあるじゃない? そこには執着しない。嫌われるのはイヤだけど怖くはない。気が付かないだけかもしれないと前置きはするけど、そんなに嫌われたりした経験がない。怒られたりしてもおかしくないことして怒られずに済んだ事は沢山ある。つまりそういうことか? 酷く嫌われたり怒られたりしなかったから、幸せに生きてこれたからそんな風に思えるのか? (でも、酷いこともされたよ。根に持つつもりはないけど忘れやしない性格なんでそれらを時には思い出して反芻して腹を立てたりもする。その状況は不愉快なのですぐに修正するけど気分を)
↑隙だらけの猫さん、今日はおいらが見てるの気づいたけどすぐに草に夢中。
↑ボールペン、固形水彩。
野菜ジュースの入ったグラスを倒して溢れた先の下にスケッチブック(未使用)群があった。そんなに大きな被害なかったけど一部濡れたので午後いっぱい乾かした。水彩の水入れもあって野菜ジュース色の水になってた。今後、アナログ絵で何処か少し野菜ジュース色が混ざるやも知れません。
きっと幸せになりますよ(私が