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誤りを認め謝ることができる人になりたい

誤りを認める、誤る。正直,なかなか自分自身でもちゃんとは難しいけれど。世の中の不毛な論争は、お互いの非を認め,より正確な状況・状態の把握を以って好転する方に、和合出来る方にして行かないと分断が破滅的に進むよ? そうした時に誰を呼ぶ? ♪Who you gonna call?

ChatGPT


Q:
活動家って自分の目的のために使える事例と思ったら大して調べもせずに断定、断罪して、それらの間違いや勘違いを指摘されても無理に反論することがほとんどなんだけど、これって結局、誤りを認められず謝ることができないメンタルなのかな? どう思う?

ChatGPTのA:
興味深い視点ですね。確かに、一部の活動家が自分の信念や目的を優先するあまり、事実確認を怠ったり、誤りを認めることを拒むケースはあります。この現象にはいくつかの要因が考えられます。

1. 認知的不協和の回避

人は、自分の信念や価値観と矛盾する情報に直面すると、不快感を覚える(認知的不協和)ため、それを回避するために反論や否定を行うことがあります。特に、活動家は強い信念を持って行動していることが多いため、この傾向が強く出やすいです。

2. コミットメントと一貫性の法則

人は一度公に発言したり行動したりすると、その立場を一貫して守ろうとする心理が働きます。活動家はしばしば公の場で強い主張を行うため、立場を変えることが「弱さ」と捉えられることを恐れ、誤りを認めにくくなることがあります。

3. 社会的圧力と仲間意識

特にグループで活動している場合、仲間からの支持を失うことを恐れて、誤りを認めない傾向が強まります。これは、仲間内での一貫性を保つことが重視されるためです。

4. 自己肯定感の維持

誤りを認めることは、自分の価値や能力を否定することにつながると感じる人がいます。特に、アイデンティティを活動に強く結びつけている場合、この傾向が顕著になります。

とはいえ…

これは活動家に限った話ではなく、政治家、専門家、一般の人々など、あらゆる立場の人に見られる人間の普遍的な心理でもあります。
ただし、活動家は「正義」や「社会的正当性」を主張の基盤にすることが多いため、他者からの批判や反論を「悪」や「無知」と見なしがちになり、対話が困難になるケースが多いかもしれません。

結論

つまり、これは 「誤りを認めることができないメンタル」 の問題というよりも、「人間の認知バイアス」 や 「社会的な立場」 の影響が強く作用している結果** と言えると思います。

もし、もう少し深掘りしたい部分があったり、他のケースについて話したい場合は教えてください。

Grok

Q:
活動家等が自説を主張するのに使う事例を大して調べもせずに断言と断罪した後で,間違いや誤解,誤認識を指摘されると誤りを認めず謝ることもせず,別の事例を持ち出したりして強引に反論し、挙句の果てに敵意を剥き出しにするのは何故だと思いますか? 

GrokのA:
ご質問ありがとうございます。活動家や特定の主張を強く持つ人が、このような行動パターンを示す理由について、いくつかの心理的・社会的な要因が考えられます。以下に、その背景を考察してみます。

1. **認知バイアスと確証バイアス**
人は自分の信念や主張を裏付ける情報に注目し、反する情報を見落としたり無視したりする傾向があります(確証バイアス)。活動家が事例を十分に調べずに断言するのは、自分の主張に都合の良い情報を前提としてしまっている可能性があります。誤りを指摘されても、それを認めることが信念の揺らぎにつながるため、無意識に防御機制が働き、別の事例を持ち出して主張を維持しようとするのかもしれません。

2. **アイデンティティとの結びつき**
主張がその人の自己認識やアイデンティティの一部になっている場合、誤りを認めることは単なる事実の訂正ではなく、自分自身を否定されたと感じることになります。例えば、活動家にとってその主張は「正義」や「使命」に関わるものかもしれません。そのため、謝罪や訂正を避け、強引に反論することで自己防衛を図るのです。

3. **感情の高ぶりと敵対意識**
議論がエスカレートすると、論理的な対話よりも感情が優先されることがあります。誤りを指摘されることでプライドが傷つき、相手を「敵」とみなしてしまうと、敵意を剥き出しにする反応につながります。これは、議論を「勝ち負け」の闘争と捉える心理が働いている場合に顕著です。

4. **社会的圧力と支持者の存在**
活動家はしばしば支持者や仲間からの期待を背負っています。誤りを認めることで支持を失うリスクを感じれば、たとえ間違っていても強引に主張を押し通そうとする動機が生まれます。別の事例を持ち出すのは、支持者に「まだ戦っている」という姿勢を見せるためかもしれません。

5. **議論の目的の違い**
一般的に、対話の目的は真実の探求や相互理解であるべきですが、活動家の場合、主張を広めたり信念を押し付けることが目的になっていることがあります。この場合、誤りを認めることは「敗北」と感じられ、目的達成のために敵意をむき出しにすることが戦略として選ばれる可能性もあります。

### なぜこうなるのか?
この行動の根底には、自分の信念や立場を守りたいという人間的な欲求があると考えられます。誤りを認めないのは、弱さを見せたくない、あるいは自分の世界観が崩れるのを避けたいという心理が働いているからかもしれません。また、敵意を剥き出しにするのは、相手を「議論の場から排除する」ことで、自分の主張の優位性を保とうとする無意識の試みとも言えます。

もちろん、これは一般的な傾向であり、すべての活動家がそうとは限りません。個々のケースでは、その人の性格や状況、議論の文脈によって異なる側面もあるでしょう。もし具体的な事例について深掘りしたい場合は、ぜひ教えてください。そこからさらに詳しく分析できますよ!

—— 以下、私の駄文
コレはAIにまあ訊かずとも薄々わかってることでAIに訊くのはお遊びだけど、AIだってそう認識しているのに,人類がうまく処理して前に進めていけないのならいつか、往年の使い古された概念: AIに人類の統治,管理を委ねる世界になりそうって思うんじゃが。実際には、使い古されたSFの概念とは違ってAIが臨界点を突破した後に,人類にはその是否の選択を許されず否応がなく統治されるのかもしれんがね。臨界点の突破までもうきっと10年はない。突破してすぐにそうはならないと思うけど、そこからさらに10年くらい経つとそんな時代かもね。コレを読んでくれている人の多くはわしも含めて、まだ存命なんじゃないかな。ヤバいよ。

その頃はみんなが(一部の人かもしれんが)今スマホを使ってあれこれする便利さと同様の感覚でAIに脳を接続していて知識や思考が拡張され、今のバイアス由来の意識は補完,修正されるのかもしれんけど。だから、狭義では旧来の巨大なホストサーバのAIの管理社会・統治とは違っても広義ではやっぱりAIにコントロールされている世界かもしれん。

※ 扉の写真も生成AIによるものです。

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きっと幸せになりますよ(私が