マウントするより褒めてゴロゴロ
Aが好きだという話の時にBはこれこれこうで好きじゃない、ダメだ。それに引き換えAはこうで良いという論理を進める人がいる。気になる。Aが好きはいいけどBをわざわざdisる意味はないだろう? Bを好きな人だっているだろうし本来的には優劣の話でもなかったりするんだけど。
なんでそういう論理展開を使うのかなー?と考えるわけだけど、突き詰めるとどこか意識高い系な思考を感じる。いろんなこと比較して判断できる、見ている。みんなが気付かないことに気付けてる。比較して導くと説得力のある気がするのかな? そんな演出かな?って。でも残念、如何にも短慮な気がしちゃうんだけど(欧米に比べ我が国は、中国に比べて我が国は…的な言い様は昔からあるよね、まだ使ってる人もいるけどね)
SNSってそれなりの割合で芸能、政治、経済、世界情勢などありとあらゆる話題と人物に辛辣な批評が、ほぼ悪口が多いけどそれも含めて投稿されている。有名無名問わず大抵は訳知り顔の上から目線。有名人の中には話題になりゃそれでいいと思ってんのか思い込みのみや無知のままの言動で突っ込まれる芸風のヒトも多くなった。突っ込む人も上から目線だ。
みんな、ようするにマウントポジション取りたいんだね。何故? そこにマウントできそうな対象がいるからか? 登山家かよ。
って内容のこの文章もある意味、上から目線でマウントポジション取りだよね。人はそこから逃れる術が難しい。
とにかく、何かの感想を述べるときできる限り、ここがいい、ここをこう感じてそれが好きだ、とかそんな論調でしたい。褒められる方が気持ちいいし伸びるんだよ(自分も、きっとみんなも)。
人の振り見て我が振り直せ。人の屁りも凪咲の屁りもそのうち臭くない。誰が興味あんねん!
きっと幸せになりますよ(私が