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昨晩、弟と話したこと

 本編、本当にタイトル通り。昨晩、弟と話したことを書いていく。最近、弟は恋人だった子と復縁するかどうかについて悩んでいるらしい。ざっくり、私の記憶にある程度のことで、つらつらと。

 ここ数日、弟の元恋人と自分の家で遭遇する機会が増えた。元々別れてからも友達のままだということは知っていたし、遭遇することはおかしなことでもないのだけれど。でも、付き合っている時でも家で会ったのは1回しかなかったから、別れてからこんなに高頻度で遭遇するのはおかしな話だと思った。案の定、予感は当たっていて、弟が振ったのに、その子のことが好きなままだというのだ。その子はずっと好きで、好きなまんまらしい。不思議だなと思って話を聞いてみた。

 なんとも、弟は、好きだから付き合っていたのに、彼氏という役割に自分が抑圧されて、苦しくなって、その重圧で、元々自分の中にある相手のことが好きだという気持ちがどんどん埋もれて見えなくなっていくタチの人らしい。弟がそういう人なんだということは初めて知った。恋愛関係になった途端、友達でいる時には感じなかった、違和感みたいな、少しの息苦しさがどんどん増していくらしい。結果、いつ終わるのかわからない地獄の恋愛マラソンRTAが開幕してしまう。右にも左にも落ちられない、止まることも許されない綱渡りなんだ、って。私の人生において、恋愛をそういうふうに捉える人がいることをその時初めて知った。私は、その人のことが好きで、かつずっと一緒にいられたらいいなということに重きを置いているが、弟はどうやら、今、一緒にいたい、いつか終わりが来ることをわかっている。だってこの先いろんな人に出会う可能性を捨てきれないし。みたいなタイプだった。本当に真逆でめちゃくちゃに笑ってしまったし、私は弟の恋愛観を理解できる時は来ないだろう。だって本当にわかんないんだもん。ポジティブな意味で、本当にお互いがお互いの考えていることを理解できないことが面白くて仕方なかった。

 確かに、この先、生きていく上で、今まで以上にたくさんの人とたくさんの出会いをしていくだろう。当たり前だ。人間だし、私たちは社会の中で揉まれているし。それでもその仮想的な可能性に杞憂し、目の前の大事なものを見落としてしまうのはわからなかった。その中の仮想の誰かとうまくいく可能性もあれば、その中の誰ともうまくいく可能性がないこともあるだろう。でも目の前の好きな人一人大事にできなくて、幸せにできなくて、何が愛なんだ。と私は思ってしまった。いろんな人を好きになるよりも、私は一人の人とずっとずっと長く一緒にいられることの方がかっこいいと思う。もちろん山あり谷ありだと思う。それでも私は、めんどくさくなったりしんどくなったりして、自分の感情のみを優先して全てを一旦リセットするために別れたりすることよりも、いかに今をより良くしていこうとすることのできる環境であったり、話し合ったりできることの方が、ずっとずっとかっこいいと思うのだ。前者は限りなく一人の世界であって、相手の感情は頭にないだろう。一度でも二人で一緒にいると決めたのならば、最後は死ぬ覚悟で、向き合うことの方がかっこいいよ、と私は思った。

 それでも、弟側からすると、たくさんある将来の夢を、半ば強引にひとつに絞りなさいと言われている感覚に近いと言う。やってみてやっぱり好きじゃない仕事だったら苦しいだけじゃんと言っていた。これは本当にわからなかった。私は好きなことや自分のスキルが上がるような仕事にしたいタイプなので、根底から違う気がした。あと、別にここは比喩とか関係なく、私はたくさんある将来の夢を、一緒に楽しくやっていける一人の人がいればそれが一番幸せなことだと思う。とこんな感じで一生相入れないわけだった。

 結局弟は、恋愛に、多分恋に、終わりが来ることが前提になっていて、そこに苦しんでいるらしい。終わりが来るのであれば、そもそもはじめなかったらいいじゃないかと。はじめる必要がないじゃないかと。いかにも恋っぽくて、非常に良かった。関係性が恋愛に移り変わった途端に、終わりが来ることが当たり前になるらしい。でも友達に終わりは来ないと言っていた。別に関係性が違うからといって、終わりが来る時は来るし、終わりが来ない時は来ないんだよ。と思った。弟はこうも言っていた。ただ、その人のことが好きでいられるということだけでいいのに、とも。難しいね、いっぱいね。

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