絶望してなんぼだろ、なめんな
こないだ、はじめて東大の五月祭に行った。人が多かった。湿気しかなかった。フォークソング同好会みたいなところでヒトリエのコピバンを聞いた。フロントに立っていたギターボーカルの子がズバ抜けて上手だった。なんとなくバンド内の人間関係が難しそうだな、というのが音で伝わってきた。きっとベースの人が年上で、ギタボの彼がやりづらそうにみえた。MCのタイミングもベースの人が決めていたし、やけにベースの音がデカくてバランスが悪かった。ほんでそんなにベースは上手くなかったから、聞いていて少しだけもどかしくなった。私ももう一度ベースをやりたくなった。一番最後の曲が、ローリンガールで、私は嬉しかったし、少し泣きそうにもなった。名前も知らない君の熱量に、恋をしそうだった。危ない。いや、もう好きなのかも。今、私は、名前くらい聞いておいたらよかったと後悔をしているし。
ちょっとだけ弟の友達にも会った。その子が安田講堂のイベントのチケットを取ってくれていたから。家に帰ってから、その子が“面白い姉だね”と言っているというのを弟が教えてくれた。どうやら弟の姉っぽい感じだったらしい。面白いね。きっと弟に姉がいるならこんな感じ、という第三者のイメージにぴったり当てはまった、ということなのかなと思った。私は自分のイメージする自分と、他者がイメージする自分に飛び抜けた乖離がないので、私はあまり違和感を感じることなく今まで生活ができていたのかもしれない。でもこれってなんか個人的にすごく面白い。みんなはよく、自分の中の自分と他者の中の自分に相違やすれ違いがあって苦労することが多いのに、私にはあまりないのが不幸中の幸いってことなのかも。
めちゃくちゃ久々に寂しい気持ちになった。なんでなんだろう。いつもはすぐに返信が来る人から今日は返ってこないこととか、誰か他の人の機嫌を一生懸命取ろうとして虚しくなっていることとか、明日の出勤が僻地みたいなところとか、みんなには隣に誰かいることとか、わたしがひとりなこととか、やけに躁状態になっていて、逆に寂しさに敏感になっているにも関わらず、目が冴えてしまっていることとか、半袖の季節が来ることが嫌なこととか、何かすごい些細なことの積み重ねだ。青い気持ちになっている。さっきまではすごく眠たかったのに、ベッドに入った途端に寝れなくなった。ふわふわの毛布:ふわもふ。早く寝たいよ。だけどなんだかかなしい気持ちがわたしを掴んで離さないよ。困った。どうにも安心して寝られない、テディベアにうずくまって寝るしか、もう救済がない。さみしいからご飯を食べてしまうし、かなしいからご飯を食べてしまうし、眠れないからご飯を食べてしまう。よくなさすぎる。わたしは君にどうしても知っておいて欲しいことを、言わずに素通りしてしまう癖がある。そして後悔する。これを繰り返してわたしの全部、すり抜けてしまったみたいだ。あまりにも悲しいね。どうしようもないね。ふと君の顔が頭によぎるたびに、ああ元気にしているかな、どうしているのかなと思う。
これは全然関係のない話、そう、本当に、気付かないくらい、やるなら上手にやってくれよ、という感じである。色恋に全振りするな、簡単に他人に縋ろうとするな。傷付いたフリをして、絶望を繰り返して、他人にどうにかしてもらおうとするな。自分に余裕がないからってそのキャパ自体を他人に移行させようとするのはどうなんだい、外部ストレージ。自我を他者に移行させればさせるほどキツいのではないか。自傷を繰り返してでも無理矢理拡張しろよ。なんで他人にヨシヨシされようとしてるんだよ。その作業を怠って、どうしてのうのうと他責で生きられるんだ。という気持ちがよぎる。
目を閉じると、高い木に逆さまに吊るされたわたし。しかも片足だけが。抵抗することもなく、ただ、揺られている。どんどん円を描くようになっていく。頭に血がのぼっていく。それでも続いていく。下から誰かが覗いている。顔も不明瞭な不確かな人。でもそれが誰なのか、なんとなくわかる。東西線の中。
もう全部いい加減にしてくれ、私もそろそろ幸せになりたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?