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雑感

 1日しか家を空けていないのに、感覚的にはずっと家に帰っていない気がしていた。実際帰ってはいるがほぼ会ってはいなかった。酒を飲み眠りの浅いベッドの上。帰宅したらやけに優しくなった母親に、久しぶりと言われた。ふとした会話の中で家庭内の身体的距離のバグに気付いた。正直薄々感じてはいた。でもどこまでが当たり前で普通なのかがわからなくなっていて、まあ普通もなにもないけど。正しさもどこにもない、わかっている、ただラインを知りたい。ここまでだったらバグってないよと教えて欲しい。私は今のここの中でしか育っていないから、本当になにもわからないのかもしれない。

 私、多分本当になにもわかっていないのだ。よくよく考えたら、わがままを突き通す方法も、駄々をこねる方法も、喧嘩の仕方も、強く言い返す方法も、怒り方も、怒られ方も、仲直りの仕方も、多分本当に全部知らないんだ。私。本当に対人となにもやってこなかったから、なにも構築してこなかったから、避けて通ってきたから、関係を深めたりする方法がわかっていない。趣味を共有して、合致している部分を掬い上げてそれを一生擦ることしかやっていない。人と本当にぶつかり合ったりとかしたことがない。全てを極力避けて通ってきたのが大きすぎる。私はこれからたくさんのことを知っていくだろうし、学んでいくんだと思う。ちゃんと大きくなっていければいいね。

 私なんの心配も不安もなくて、ただ継続してきた生活の中、その延長線上での今の生活。なんにも変わっていない、それでいいと思う。あの頃の私より、少しは成長できたかな。と振り返る。きっとだいぶ大人になったというか、自他境界をちゃんと引けるようになっているから、みたいなところもある。数年前の私は全てに対して一喜一憂していたし、なんていうか、誰かと自分の全てを同化して、はみ出した相違に対して本当に絶望してありえないくらい情緒が終わっていたんだけど、今は本当に私もぽけーっとしているだけだし、ただぷかぷか水の上を浮いているみたいな感覚がしていて楽しい。だいたい今の私ができることって限られている、信じることしかできないんだよな。ほっそい蜘蛛の糸みたいな半透明乳白色の切れない糸を血が滲むまで腕に巻きつけているような感覚。でもそれでいい。何かを犠牲にしないといけないのならば、全てを差し出すか全てを刺す、くらいで。

 これからもしっかり絶望をしていくのは変わらないだろう。ちゃんと世界に対して怒っていくんだろう。よかった。本当に私が変わらなくて安心している。これが一番大事だったから。

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