3月13日

大好きな人たちっていうのはどうしてこんなにも僕に価値を与えて価値を見失わせるのだろう。

なんだかもう。

ぼくはそこまで人と話すことが得意じゃありません。
人と話すことを厭って生きてきました。
けど人が嫌いなわけじゃない。本当はぼく、ああもう、なんだか、表面ばかりが固まっているな。

本当は僕の言葉で笑って欲しい。あの人たちのようにお互いの言葉と過去を使って上手に話したい。話していると楽しい人だ、なんて思われたい。
優しい人と話していると、ふと、それができる気がして、つい、一言三言、話してしまうのだけれど、なんだか、きょとんとされてしまう。僕の言葉はもしかして、彼らが使っているものとは別物なのだろうか。そんなはずはないのに。そうであったらどれだけ楽か。中途半端に理解される可能性があるよりよほどいい。知らない言葉を話す存在だと認識してもらえたら、一から説明させてもらえるのに。

会話ってキャッチボールだ。なんて。そうだね。あの人たちの会話を聞いていると、より一層そう思うよ。僕の言葉はキャッチしやすい言葉じゃないから、タイムロスができることも。

どう言えばいいか探す時間と、浮かんだ言葉を理解してもらう時間と、たぶん、どっちも変わらない。ねむい。

いつだって自分じゃない誰かに憧れている。僕があのひとに成れたらいいのに。ああうそだ。なりたくない。なりたくない。僕は彼女たちが好きだけれど、彼女たちになりたいわけじゃない。僕はぼくになりたい。誰でもあって誰でもない僕になりたい。誰かの素敵だと感じる部分をはめ合わせた存在になりたい。誰からも好かれたい。ああなんだかもう愚かしいな。けどああもう何も言いたくない。

ぼくはいつだって愚かしいな。かなしくて仕方ない。泣きたい。

大好きな人たちにイマを見つけてしまうたびに、衝動的に関係をリセットしてしまいたくなる。彼らは何も悪くないのに、僕は彼女たちから離れたくなる。

ああなんだかもうなにもないな。

ぼくがぼくに価値を見出せたとして、それはいったい、生きていたいという言葉になるのだろうか。あーうすっぺらいな。僕を何一つ描けていない。それすら傲慢だけれど。

さむいな。

ぼく、ぼく、って、なんかいも言葉を書いて、ぼくを描こうとしているけれど、書いていて泣ける文章にしか、僕はいない気がする。なんだか気持ちよくないな。自慰好意すら自慰にならなかったら、いったい何をすればいいんだろう。

僕って本当にめんどくさくて、それを自覚してなおめんどくさい。
めんどくさいものは嫌われてしまうと思う。
嫌われたくないのに。
僕を好きでいて欲しい。ぼくを褒めて欲しい。そうしたら、うれしくなるから。うれしくなったら、幸せだから。

あほらしいな。ぼく、かんがえているふりして、何も考えてなくて。

こうやって書き出すと、薄っぺらさが目に見えて嫌になるな。
二度と誰とも話したくない。声が出なければどれだけ楽か、楽か?

ダメだな今日は。かける気がしたのに、なにもかけないや。モヤモヤする。ああくそ、イライラする。いやだ。ああもう、泣きたい。褒められたい。僕が僕に価値を見出せるような言葉が欲しい。慰めの言葉も、アドバイスもいらない。未来を期待する言葉と、今を撫でるだけの言葉なんていらない。ぼくに何も与えてくれない。アドバイスじゃなくて知識が欲しい。慰めじゃなくて心からの肯定が恋しい。

だれか知らない、見目がいい人に抱きしめて欲しい。きもちわるい。

ぼくってどうしてこうなんだろう?だなんてわかりきった言葉は書けないな。ぼくはこんなぼくがすきだからこうなんだもの。願わくば明日目が開かなければいいな。もしくは、全部、誰かの夢で在ればいい。生きる体力だけ持て余してしまって、だから悲しい。体力があれば未来があるように思えてしまうから。

僕がこういう人間であることを、親に怒られたくない。悲しまれたくない。
僕って本当に嫌なやつだな。むしろいっそ、ぜんぶ、だれか、知らない人に、否定して欲しい。だれかに貶して欲しい。褒められることも嬉しいけれど、貶されることも嬉しい。醜い部分を知れるから。

ああもうダメだな。書けないや。今日はここまで。

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