3月6日
ときおり、常につきまとう自己否定や劣等感や嫉妬ややるせなさや無力感を、あっても無駄なものだと思えてしまうと、なんだかそれらを持ち続けていることがいつも以上に恥ずかしく思えてきて、もうなんだか、とっても悲しくなる。
ぼくからそれらを取っ払ってしまったら、一体何が映える個性として残るだろうか?他に自覚した何かはないし、ぼくがぼくを慰める為に使っているのはそれらなのに。
変わりたいと思うなら変わればいい。
今の自分に魅力を見つけられないなら今までとちがうなにかを始めればいい。
結局それらは変わらないを変われないにむりやり認識変えしてるだけなんだって、どうしようもなく愚かしくて、ああいやだな。
ぼくってけっきょくたぶん、こういう部分だけ大切にして、そのくせ、変わらないままの自分を尊重したりなんかせずに、無駄に自分を貶しめて苦しませながら、人生終わらせてしまうのだろうな。
つらいな。
いつも自分のことばかり考えている。
人の行動の理由を考えるよりも、自分の行動の理由と結果を考えている方が楽しい。
考えれば考えるほどべつに生きていたくないって思う。
誰かに気にかけてもらったとして、その誰かに使ってもらった時間に応えられる自信がない。人と関わりたくない。消極的すぎて、こんなんじゃよほど、なんにもなれない。
自信だなんてもっても仮初の自分に対してのものでしかなくて、だから、仮初が剥がれたら動けなくなってしまう。存在したくない。生きているだけで考えてしまって。知っていることだけで自分を否定して。自信も自己嫌悪も井の中の蛙だって思えて嫌になる。なにもない。呼吸ができてしまう。
持続する苦しみに想像だけでも耐えられなくて、一瞬で楽になれるであろう結果を想像して愉しんでしまう。醜い。ああいやだな。誰にも何も言われたくない。そのくせ、だれかに救って欲しい。醜さを取り除いて。
下を見ることで救われるだろうか。僕よりも下の人間なんて見つけられなくてああもうイライラするな。ぜんぶあれもだれもそれもどれも悲観ばっかりで自己嫌悪が足りていない生温い自殺なんて結果を選んだ奴らだって自己嫌悪を知っていたのかわからない。自分を否定することはこんなにもなにもかもを固まらせるくせに、やけに中毒性があって情けない。ぼくは麻薬には絶対に手を出せないな。
どうすればいいのかわからない。すがることにすら縋れなくて、これが唯一できることになっていて、ああもう醜いな。なんだか嫌だな。
生きていることが楽なわけがないじゃない。
ぼんやりと生きていたら、楽なようで余程辛い。
ただ生きているという認識がどれだけ自分を否定するか。
ああもううるさいうるさいうるさい
あれもどれもそれもああもう飾りばかりの言葉に見えているんでしょうか。一体何が”アオい”になるんでしょうか。これはああもういやだなどうしたって何年経ったって自分は自分が嫌いなままでそのくせなにもしなくて本当にしんどいんです呼吸だけしか生きる術を知らないのにそれを知ってしまったから八十年も生きないといけないの?産声なんかあげたくなかった。
1日がおわるたび限りある希望が消えていくのを感じるんです、希望が消えることがよほど自分を否定させるのに自分を否定しているうちにまた希望が消えてしまいました。その繰り返しにハマってしまってもうどうにも抜け出せなくて。
いっそだれかがわかりやすくいじめてくれたらいいのに。
どうして自分が自分をいじめたゆえの不登校は情けなく思えるのだろう。
ぼくはこんな僕を一生引きずって生きて行かなきゃいけないのか。
だれも否定しないで欲しい。馬鹿を言っていると言わないで欲しい。
愚かだと蔑まないで欲しい。若さだと笑わないで欲しい。
どうしてぼくじゃないのにぼくを馬鹿にするの?
どうして僕以上に僕がどう行動できるようになることが正解なのか知っているの?
あほらしい。僕しか僕はいないのに、その僕を僕じゃない人が否定するの?
僕のナカを知らないのに?僕じゃないのに?
僕があなたにとって価値のない人間だからって、ぼくを馬鹿に分類するの?
わかってるよ、ぜんぶぼくの自己認識だ。醜いな。よほど生き辛い。
誰にも関わって欲しくない。疲れてしまっただとか言えば今までが頑張っていたようで見栄えが良くて、だけどちがうんだね。がんばらなかったから疲れたのかな。
ぼくがこのままで価値がある人間だとおもえたならよほど生き安い。
きっとそうしたらしあわせだろうな。
だけどぼくに僕にとっての価値を与えられる誰かはいるのだろうか。
贅沢だから生き辛い。
あほらしいな。なんだこれ。
吐き出さなくていいことを無駄に吐き出してまた醜い。
吐いた息が全部臭い。眠りたい。生まれ変わる夢が見たい。
なにもかんがえたくない。
ぼくよりも自分嫌いで悲しがりなだれかの言葉が聞きたい。