11月30日

人の文章が鼻につくし、自分の文章も鼻につく。
一つ前のイライラに関する記事は書いている時から心地が悪くて仕方なかった。

人格が滲み出ている文章が昔は好きだった。
句読点がたくさん使われているようなゆっくりしたテンポの文章が好きだった。
が、さっき数作ほどnoteに投稿された記事を読み、ゆっくりした思考がそのまま文章になったような記事が、鼻につくようになっていることに気がついた。

知識が浅く、自分の経験と感情、思考からしか物事を考えられないようなタイプである自分のことを、僕は嫌っている。
嫌っている自分を見るような文章が鼻についているのか。

僕は言葉に大きく影響される。
記事を読むかどうかも、書かれている内容より文章の雰囲気で決めることが多い。
苦手な雰囲気の文章を読むと、頭の中に腐った液体が染み込んでくるような心地がして、脳をスポンジのように絞りたくなる。

僕は自分の言葉のチョイスに自信がない。
人と会話をする時…瞬発的な思考が必要になる時は特にそうだ。
“A”という言葉を投げられた時に、Aが何を伝えているのかを考えて、相手が求めていた情報を、相手が理解しやすい言葉と文章の形と順番で返したい、が、自分は良く失敗する。
そもそも自分のイントネーションが独特で聞き取りづらかったり、声がボソボソしていたり、という大きな原因は置いておくとして、
言葉のチョイスが悪い。らしい。
伝わると思って言ってみても、それが言葉たらずだったり、相手はそのことをその言葉で言わなかったりするらしい。
これは今まで人と積極的に会話をしなかった経験の少なさからくる会話力のLv不足だとも思っているが、

も〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なんつうか、センスがねえんだなあ

仕方がないので日常会話に使われる日本語の勉強を始めた。
と言っても、日本語が聞けるコンテンツを見るようになっただけだ。
ユーチューブとか、日本語をたくさん聞くことを心がけるようになった。

人と喋るって難しいンだ……

目指す日本語のカタチはあるだろうか。
アナウンサーみたいな綺麗なイントネーションと話し方に憧れる。
すごく聞き取りやすくていいよね。

僕は言葉にすぐ影響されるから、そんな中でぼやぼやした文章に触れてしまうとぼやぼやになってしまう。頭が。いや、ぼやぼやした文章は全く悪くないのだが、いかんせん僕がぼやぼやするのは僕の生活にいらないのだ。僕はぼやぼやしたくないのだ。
ぼやぼやしなくなることを無理だと思いたくないのだ。いや…。

なんとういうか、あの、日本語で会話しているのにあの、
『……、?』みたいなあの表情と雰囲気が僕はも〜〜〜〜〜〜〜!経験しすぎて耐えられない!なんとかしてくれ神様!なんとかします!

ということで最近、言葉に慣れるためにまたnoteに戻ってきた。
書くうちに、伝わりやすい言葉と表現するための言葉の仕分けができるようになるといいなと思う。

12月2日公開のブラックアダム楽しみだな…。

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