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『開運霊学マスター』の除霊記19

生霊の実際例

こんにちは〜

『開運霊学マスター』のしゅんしょう先生です。

ある日のこと、1人の主婦からの相談を受けたときのことです。

話を聞くと、ご主人が最近、何度か倒れたので、今後が心配だと言うことでした。

家はコンビニを経営していて、日々忙しいということです。

数年前にいちど、胃腸の調子を崩したが、その時は、それほど長く時間をかけずに健康回復していたそうです。

それが、最近は、この1カ月ほどの間に4回も倒れたのです。それも急に顔が青ざめて意識を、失い救急車で運ばれたそうです。

2度目に倒れた時、病院で精密検査をしてもらいましたが、異常なしということでした。

それ以降も倒れたら救急車で運ばれ、1日入院したら普通の状態で帰ってくると言うことを繰り返すばかりだと言うことです。

早速、霊査してみると、亡くなっているご主人の父が関係していたので、その供養をしてみるので、しばらく様子を見てもらうことにしました。

すると2週間ほどはよかったのですが、また倒れたのです。。

連絡を受けてから時に直ぐに霊査を始めました。

そして、奥さんからも色々とお話を聞くうちに、だんだんその根本原因がわかってきました。

実はこの奥さんは後妻だったのです。

家には先妻の子である男子2人が高校卒業後も仕事もせずに、お店の売り上げを勝手に持ち出しては遊び歩いていて、ご主人はそれについては見て見ぬふりをしていると言う状態だったのでした。

先妻も少し離れたところに、別の男性と暮らしていたのですが、最近、この先妻の女性の金遣いの粗さに、男性が嫌気をさして別れたばかりということです。

そこで、はっきりわかった原因とは、この「先妻の生霊」だということです。

先妻は、夫と別れてから今までずっと別れた夫を恨んでいました。

次の男性と別れてからも、その男性と別れた原因が自分にあると言う事は、少しも反省することなく、何もかもうまくいかないのは前の旦那のせいだと逆恨みしていたのです。

その思いが日に日に強くなり、ついにこの「先妻の生霊」が前の夫を倒すほど強く成長?したのでした。

私は、原因がはっきりわかったので、速やかに、その生霊の除霊(霊を浄化供養する)にとりかかりました。

すると除霊していくうちに、黒い蛇と稲荷ギツネが、体に災いしていたことが判明したのです。

普通、生霊とは、人が出す怨念が👦黒い蛇と化して災いしていることが多いものです。

それが、稲荷キツネも災いしていると言う事は、生霊のほかに別の因縁もあるはずです。

しかし、とりあえず私は生霊の除霊をしました。

生霊は「飛びやすい人」と「飛びにくい人」がいます。

飛びやすい人と言うのは、性格が悪く、他人をよく恨んだりする人がそうだと限りません。

これ話、ご先祖様の因縁であり、性格が良く、優しい人間でも「生霊が飛びやすい人」はたくさんいます。

参考までに、生霊が飛ぶと、どのような状態になるかと言えば、生霊を飛ばした本人と、その生霊がついた人と霊的な線で24時間結ばれた状態になります。

そのことが、何を意味するのか?

それは、生霊がついた人が霊障を受けたと同時に、その霊障は飛ばした人にも悪影響を受けるということです。

飛ばしやすい人の生霊は、ある条件(人によって様々)を満たすと生霊はいくらでも出します。

そうすると、一時期に数多くの人に霊がつくということですから、先に述べた状態によって、たくさんの人から常に霊の悪影響を受けることになります。

そのような人は、何体も自分が飛ばした生霊から逆流して霊の悪影響を受けるのです。

さて、話を戻しましょう。

私は蛇を除霊しました。

次に稲荷ギツネです。

先ほど、「生霊は、先祖の因縁で飛びやすい人がいる」と述べました。

実はこの先妻が生霊を飛ばせる原因がこの稲荷ギツネだったのです。

生霊は、除霊しても、霊を飛ばす本人が相手に恨みを抱いている限り、また飛んでくるのが普通です。

そこでこういう場合は、生霊を飛ばしやすくしている原因霊も処理する必要があります。

早速、私はこの稲荷ギツネの因縁を調べてみることにしました。

すると、このキツネは先妻の母親の生前の因縁できていたのだということがわかりました。

先妻の母親が多分、生前にお参りしたことのあるどこかの神社のキツネであろうと思われました。

この場合は、経験上、この神社を信仰していた先妻の母親の供養をするのが良いと思われたまで、早速、毎日先妻の母の供養をすることにしました。

すると、供養を始めて3日目に稲荷ぎつねが消えました。

その後、2ヶ月ほど経ちましたが、ご主人も倒れる事なく、体の調子もとても良いようだと言う報告を受けました。

蛇足ではありますが「生霊」の理と、呪いの理は同じようなものです。

ですから、呪いも先祖の悪い因縁を持っている人は、素人の真似事でも恨む相手を存分に苦しめることができます。

しかし、呪いの念は生霊とは、その強さも比較できないほど、強さに違いがありますから、そのしっぺ返しも想像を遥かに超えたものとなります。

その呪いの怨念や呪いに加担する悪鬼悪霊は、呪った本人だけでなく、その、親戚、呪った本人の子々孫々まで災いして行くものです。

『人を呪わば穴2つ』といいます。

呪いの儀式をしないまでも、人を強く憎んだり、恨んだりする事は、その念の強さだけ自分を苦しめるだと言うことを知っていれば、怖くて、自然に人を恨むことができなくなります。

人間が悪いことをするのは、それがどのような結果を招くのかを知らないからできるのです。

そのような理由で、私は、あえて人間の行いに隠れている霊的な動きをできるだけ具体的にあげ「心をいかなる状態に保つべきか」仏教を基本として、その方向性を示していきたいと思っています🥳

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