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「開運霊学マスター」のもう少し自己紹介

こんにちは~

「開運霊学マスター」のしゅんしょう先生です。

目指せ弘法大師

私は、小学校六年生か中学1年生の頃に「密教念力入門」と言う本を読んだ時から、

「弘法大師の様に超能力で人々を救えたらいいのになあ〜!」

と思っていた。

中学生の時は、ブルースリーの映画が流行っていて良くカンフーの真似事をしていたものだ。

中国武術研究家の松田隆智氏の「陳家太極拳」の本が出版された時には、心踊りましたね❤️

ただ、どこで中国武術を習えるのか?

何の情報も無く、今のようにネットで知らべるとか言う術もないのでただ、本を参考にカンフーの真似事をしていただけのこと。

今思えば、それだけの熱意しか無かったんだなと思う。

後に、念願叶って「双龍拳法総会」と言う素晴らしい会?に入会出来、一年とちょっとだけ本物に触れる事が出来た。

何事も常に心の片隅にでも、想いを持ち続ける事によって奇跡は起きる。(これ引寄せ術の心得)

また、本物の熱意が有れば、自然にそれが行動を伴うものだと今は知っている。

と言うか、自分の熱意が自分の背中を押して自分を動かしてくれるのだ。

中学時代は、「機械体操部」だったが、指導する先生がいなかったので遊び半分だったと思う。

バク転や宙返りが出来れば、それだけで嬉しかった。

その頃、私は、ボディビルダーに憧れて自宅でバーベルとダンベルとベンチを買い込んで3年ほど必死でトレーニングを頑張っていた。

高校生になってもトレーニングは続けたが、高一の時に上腕二頭筋のトレーニング中、上腕の筋を痛めたのと、私の体型ではMr.ユニバースにはなれないな🥳

と思いボディービルダーの道は諦めた。

高校生の時は「帰宅部」。

もう一つ強制的な部活があたっが、それは「産業映画部」という隔週で産業映画を観るだけのものだった。

人生の選択
(究極のアドバイス)

そうこうしていると、進路を決める時期となった。

大学進学か?就職か?

丁度その頃は、「密教ブーム」、「超能力ブーム」、そんな本ばかり読んでいた。

それとアニメの「一休さん」が刺激となり、簡単な仏教書も少し読むようになっていた。

仏教界など何も知らないのに、自然に「弘法大師様のようになりたい」と、また思うことが増えた。

それと将来の高齢化社会を見込んで🤗僧侶になりたいと思った🥳

それから、天台宗の酒井雄哉(さかいゆうさい)大阿闍梨の「千日回峰行」のTV放映にも刺激されて、行者に憧れ、宗教界の事は何も知らず、ただ「厳しい修行」をしたかったのだ。

今思えば身の程知らずも良い所。

とんでもない話である。

厳しい修行をすれば、弘法大師様のようになれると単純に思っていただけのこと。

その「修行」とは、

どのようなものなのか?も知らず。

担任の先生に相談したら、先生は慌てましたね😳

🤔「それは、この学校で前代未聞の事でどうしていいか分からない?」

と先生のお言葉。

後日、校内に浄土真宗のお寺出身(後継では無い)の先生が、別の学年におられたので、その先生と面談することになった。

そして、

🧑🏻‍🦱「僕は、真言宗の修行僧になりたいです。出来れば立派な修行僧の弟子になって修行したいと思っています。」

と私は率直に言った。

もし、この時この浄土真宗のお寺出身の先生と面談できていなかったら、今の私はいなかっただろう。

今から考えても、本当に運が良かったとつくづく思う。

その面談の先生が、

👨🏻‍💼「ほう、密教と言えば曼荼羅とか、真言とか、少し特殊な宗派ですねえ。私は、立派な修行者とかは知りませんが、今の時代は何宗の僧侶なるにも大学には行った方が良いと思いますよ。」

先生のこの一言。

究極のアドバイスで、真言宗系の大学進学を希望した。

ここで大学進学を選択した事自体が、私にとっては人生最大の分岐点だと思う。

大体私は、大工になる筈だった

大体私は、小学校の低学年の頃から「中学卒業したら大工になる」と決めていたのだ。

それが父の仕事の関係で、小学校6年生の時に東北の田舎から都会に引っ越しする羽目に。

田舎から一歩も出るつもりが無かった私が🥺

そこで、私の人生計画?が全て狂った。

そう言う事で、高校にも進学するつもりが無かったのが、周りの皆んなが進学するからという理由だけでの高校進学だった。

そんな私が😝

何を血迷ったか「修行僧になりたい」と。

TVやその頃の「密教ブーム」に刺激されて到頭、大学に進学する事になってしまった。

ソレってどう言う事⁉️

頭が、良いわけでも無く、勉強が好きなわけでも無く。

ただ、通っていた高校は、レベルが高く無かったので、真面目に通学していたから大学は推薦で入る事が出来た😉

高校や大学に通わせてくれた両親に、今は唯々感謝の念しかない🥹

本山修行中に思ったこと


大学時代と修行中の話は、いずれゆっくりお話しできればと思う。

運良く大学進学、何のつても無いのに大学一回生の夏休み開けから本山に住み込みで学生生活を送るようになった。(奇跡的な幸運によっての本山住込み)

このお陰で、親には学費は出して貰っていたが、二回生の頃から生活費は自分で賄えた。

卒業後も、そのまま本山勤めをさせていただけた。

本山住込み10年弱。

最後の二年弱は、管長様の随行(ズイコウ、管長様の付人?)をさせもらえた。

本山勤めにも少し慣れて、管長様の随行をして少し感じた事がある。

🧑🏻‍🦲「本山勤めは、自分の人生にとってそれほど悪くは無いが、このままで行くと、そのいく先には私が求めていた人生は無いな。」

と言う思い。

そこで、本山を退職して、同じ本山勤めをしていた方の祈祷寺にお世話になる事になった。

その後も、この後にもう一つの祈祷寺へと移った。

ニヵ寺とも住職さんは結構な霊能者だったが、どんな素晴らしい霊能者の元で、お寺勤めをしていても、お寺に勤めていれば、ただの勤め人として先祖供養や祈祷はするが、自分の修行は中々出来きなかった。

つまり、自分の霊的成長がなかなか望め無いのだ。

坊さんになった目標が、「弘法大師様のように、拝んで人助け」をしたい。

それなのに、坊さんになって十五年経っても、ただの好青年だった🥳

いよいよ独立


少しは、占いを勉強していたが、人の悩み事の相談に乗るには実力と経験不足なのは明白だった。

少しでも経験不足を補えればという思いから、わざわざ東京に出向いて2軒ほど「イエロータンウンページ」で予約をとって占い師に鑑定して貰った事がある。

一つは結構有名な所だった。

2軒とも全くのお金の無駄遣いと思ったが、こんなもので行けるの?

と思うと安心料としては損は無いと思ったものだ。

それでも、このままお寺に勤めていたら先が見えないので、いずれは何とかなると言う見切り発車で、主に占い師として独立してしまった😛

一応占いの方でも資格?認定証は頂いていた。

独立して、数ヶ月は祈祷寺との関係を維持したので収入が少しはあったが、寺との関係が切れて一年以上経つと直ぐに収入は激減。

一回だけ新聞のチラシを入れてみたが、反応無し。

どうする? 

ドウスル? 

「どうするしゅんしょう」⁉️

どうしようも無い。

する事が無いので、とにかく拝んだ🙏

間借りした民家に「不動明王」様をお祀りして日々数時間、時には一日八時間程拝んだ。

「オオ、これぞ私が求めていた修行生活😍」

と思う所もあった。

しかし、霊能の目覚める事もなく、僅かな蓄えも底が見えてくる始末。

究極のパワースポット巡り

結婚もしていたので、生活もある。

お寺や特別の施設も無い、普通の民家の一室で開業した「占い師、祈祷師」では、お客様も知る術が無い?

占いで週に2組来たら良かった方かな?

他人にもっと知られないと?

他人ともっと縁が出来ないと?

それでも、空いた時間は一生懸命に拝んだ。

占いを勉強した。

パワースポット巡りをした。

ある時、知る人ぞ知る、兵庫県三田市の「鏑射寺」にお参りした時、何処にお参りしても変わらないから、九州に行って見ようと思い立った。

今となって分かったことだが、これは「鏑射寺のお不動様」のお導きだったのだ。

機が熟していた


不動明王様繋がりで、九州の不動明王様の有名寺院をお参りすることにした。

有名な行者さんのお墓参りもした。

月に一回くらいのペースで三回目のお参りが済んだ位の時か?

お参りしてもそこでは何も無かった。

そして、家に帰ってからいつもの書店に行った。

行って見ると一冊の本が直ぐ目が止まった。

何気なく手に取り、目を通した。

心踊った😃

急いで買って帰った。

家に帰って読んだ。


これ!😳

コレ!😢

コレだあ〜⁉️😇

心の中で叫んだ。

本の名前は忘れた。

そんな大事な本なのに、いつ処分したかも覚えていない。

何故か?

一回読んだだけで読み返した事がないから。

というか、読み返すほどの内容が無かった。

古本屋さんを探しても無い。

と言うかどんな本か、覚えていないからしょうが無い。

ただ、今でも色々な著者が、似たような内容を書いている。

何処の書店に行っても販売されているのを良く見る。

その本との出会いの時が、ちょうど私にとって「機が塾しくした」時だったのだろう。

一瞬にして変身した
【一瞬で開運】

私は、その日から変わった。

全く拙い能力ながら、開花したのだ。

あらゆる方面の事が分かるようになって行った。

「お墓」

「家相」

「方位」

「人の性格」

「相談者の過去の事」

「相談者の将来のこと」

「霊」

「神仏」

等々

それまで拝んできた事が生きた。

現在の能力の状態とは月とスッポンだが、目覚めたのだ。

会員様の相談に乗る度に、自分が神仏を拝む度に少しずつ、少しずつ能力は現在も伸び続けている。

面白い事に、それから緩やかに来客数が増えていった。

そして、その後から、「行」の先生のご加護
も加わり、ようやく経済的には窮する事が無くなったのだった。

事実は小説より奇なり

以上、「開運霊学マスター」しゅんしょう先生のもう少し自己紹介でした🥳

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