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ジャイアンと、のび太。
起業してから縁がなくなって気づかなかったんだけど…
日本社会では「支配と服従」「お客様は神様」が根強いベースにあることを思い出させられた日があった。
うどん屋さんで珍しく一人ご飯してたら、目の前の会話が強烈だった。
30代の上司と20代前半の新人ぽい部下。
上司「あのプレゼンの作り方なんなの?作ったことないの?会社潰そうとしてる?」
部下「初めて作ったんで、すみませんでした!」
(なんで上司は最初から指導してあげないのか)
理不尽な会話がずっと続く。
若者は、これが社会の常だと思ってるのか、どんな理不尽にも耐えて服従してる。
危うく口を挟みそうになつて、グッとこらえた。
コンビニでは、店員さんにイラついて文句いうお客さん。
ストレスを発散したとしても、ここは丁寧に扱ってもらえる場なんだな。
その後、某金融機関で会長秘書をしている友人とお茶をし、上司の全社員に対するパワハラが凄まじい話を聞いた。かなりとんでも無い。
しかしなんと、社員のほとんどはその会長を崇拝しているのだと。
第三者から見れば、犯罪者ギリギリの暴君なのに。
その後、友人の働くレストランに行き閉店まで過ごしていた。閉店後一緒にご飯を食べる約束をしていたからだ。閉店後も帰らないお客さんが居て、閉店時間を2時間近く過ぎる。店員さん達はひたすらニコニコお付き合いして待つ。
「大事なお客様だから、言わないことがサービス業のルール」だと。
やっと帰った後、店員さん達はようやく掃除や片付けと、次の日の準備にさらに1時間。
私は1人モヤモヤしまくり。
日本のサラリーマンはきっと「それが何か?」
と思うだろう。
若い時から、上司の権力や、社会的圧力の「奴隷」になってしまっていて、「奴隷」だということにも気づかなくなってしまってる。
「上司」の方も、悪気はなくきっと「俺の若い頃はもっと酷かった。このくらいのこと我慢しないと仕事といえないぞ。」とおそらく正義感を持ってる。
今もまだ心が奴隷なのだ。
連鎖なのだ。
奴隷は奴隷を生み出す。
それまでの長かった奴隷ストレスをやっと出せる場所は、次の若い奴隷ターゲットに向けてだ。
「偉くなったらそっち側になれるぞ」というモチベーションだ。最初から間違いだ。
日本の殆どがこの構造になっているのかもしれない。
私がロック好きなのは、そのスピリット「誰の奴隷にも、操り人形にもならない!」という正当な反骨心が、この社会では大事だと思うからだ。
この構造はなんで起きているんだろう。
起源を、想像で辿って唖然とした
のび太ニッポンと、アメリカジャイアンの構図だ。
戦後から、何もかも(食文化や文化の解体、原発、薬品、教育制度、月2回の日米合同会議で決められる政策など)強制されているストレスの連鎖が、裾野広く続いているのかもしれない。
元々、縄文遺伝子を持つ日本人は、役割分担こそすれ、助け合い、怒りは少なく、朗らかながらも、基本的に真面目で勤勉な気質なはずだ。
しかも効率重視だ。理不尽な非効率を避けるためのコミニケーションや工夫が上手い文化だ。
トヨタのカイゼンだ。京都のぶぶ漬けだ。
さあ、どうすればいいか。
自ら奴隷にならなければ、連鎖は終わる。
いつでも。今すぐ。
まずは経営者たち、上司たち、
仕事をするチームと、お互いにリスペクトし、対等になろう。
お客さんとは、お互い思いやりを保ちながら、対等になろう。
「部下に親切にしたら誰も仕事しなくなる」は幻想だ。逆だ。
「お客さんに『社員を大切にしたい』と言ったら来なくなる」も思い込みだ。
もしも理解のない客がいたら、来なくていい客だ。
上司に論理的に、改善の提案をすることは、素晴らしい。
お互いに、ある意味もっと信頼していいと思う。
一万年、平和と豊かさを続けた、この縄文遺伝子を馬鹿にしちゃダメだ。
ちゃんと、「自分」にも「人」にも、リスペクトを持つことだ。
※「アメリカジャイアン」は、もちろんアメリカ「国民」のことではないです。念のため。
※写真は、北海道の屈斜路湖のほとりのアイヌの宿で縄文を色濃く引き継ぐアイヌ文化の話を聞きに行ったときに撮ったもの。湖のほとりの温泉は絶景だった。