【日記】旧友のブログで「切れてもいい縁がある」と理解した
かつて、縁を切りまくっていた
「縁は努力」と笑福亭鶴瓶さんが言っている。縁を繋げるのは努力が必要で、そうしないと簡単に切れてしまうという意味。
その言葉は事実だろう。私はかつて、人付き合いを「しんどい」と思うことがあり、人との縁をさくさく切りまくっていた。縁が続く中高の友人はたった1人だ。
「クラスメイトたちは、今何してるんだろう…」
ふと頭によぎることはあっても、知るすべはない。
たまに旧友の様子を見に行く
だけど、ある1人の旧友の様子だけはわかる。学生時代、彼女は自分のブログを教えてくれた。20年以上経ってもそれを書き続けている。
とても継続力があり、思慮深くて物知りな人だ。人前に出るのを臆さず、堂々とした人だ。尊敬する点がたくさんあって、彼女のことは今でもとても好きだ。
(だけど、ある事情で一方的に私から縁を切ってしまった)
3年に1度くらい、何をしてるのか何を考えているのか気になってちょろりとブログを見に行っている。
つい1ヶ月前に、その周期がやってきてブログを読む。
そして、思ったのだった。
「彼女の言葉が、よくわからない」
昔から彼女の言葉を難しく感じていた。3年前より語彙力がレベルアップして、映画の感想ひとつでも理解しづらくなっていた。
そこで「この縁は切れるべくして切れたんだ」と思った。
自分の周りにいる知り合い5人の平均年収が自分の年収になると聞くが、もしかしたら平均IQも同じかも。
彼女のブログには知らない言葉が並び、ググると「へえ、そんな意味なんだ…」と感心してばかり。
こんな状態で彼女と顔を突き合わせて会話をしたら、
「その言葉の意味って?」
と私は質問ばかりして、なかなか前に進まない様子が想像できた。こんなもたつく会話は負担をかける。
縁が繋がってても、自分も相手もしんどいものになっただろう。
旧友と縁がなくなって気づいたこと
だから、「縁って切れていいものがある」としみじみ理解したのだった。
切れたものを名残惜しくずっとずっと執着して考える時間は、無駄なんじゃないだろうか。
だから、もしも「あの時ああしていれば、今頃あの人と縁が続いてたのに」なんて考えている人がいるなら、言いたい。
「切れていい縁だったんだよ」
「無理に縁を繋げていたら、相手も自分もしんどくなってたよ」と。
「あのときああしておけば…」とよぎる事はある。人に対しても、仕事でも、何か決断するときも、LINEの返信ひとつだって。
だけど、40近くなって縁について考えを整理し、「切れるべくして切れる縁」があるとこを理解して、やっと後悔がなくなったのだった。
旧友のことは今でも好きだけど、もう直接会わないほうがきっと良い方向に行く。
出会えて、少しの間だけ縁があったこと自体がきっと奇跡だったんだ。
私にはそれで十分だと思い、縁を必死に繋げるのは避けよう。
ブログをそっと閉じた。
たぶん、また3年後かな。そのときドイツ語とかで書かれてたら、もう読みに行くことはしないんだろう。
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