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抜釘後約1年(骨切り後約2年)

令和5年12月4日
待ちに待った?1年検診

左足は引っかかりやふくらはぎの動かしづらさはあるものの、
バスケットボールをしても水腫は増えず、落ち着いた状態。

ただ右足の状態は良くなかった。
水腫があり、先生に診てもらいたいと思っていたが、今回の目的は左足の1年検診。
本来の目的と違うため、先生に伝えるべきか悩んでいた。

レントゲンを撮り、先生の診察へ。
まず左足の症状や自分が思っている現状を伝える。

まずひざが曲がり切らない点については骨の変形が原因とのこと。となれば、なかなか正座や屈伸、しゃがむ動作は難しいのかなぁ。
しゃがめないことは日常の中で動作制限があるので、普通に生活するより、足を使わないことになる。
意識的に左足を鍛えることと、可動域を広げることを続けていかないと、どんどん悪くなるので気を付けないといけないなと再認識。

これからずっとしゃがめないかもなぁと思うとちょっと辛いですが、可動域がこれ以上狭くならないよう注意していきたいです。

気になる右足ですが、先生から触れていただけた。正直ありがたかったです。

先生としては現時点で左足手術前より膝の間が狭くなっている。これは軟骨がすり減っている状態で、骨切りを推奨。悪くなってからでは結果、満足度も下がると。
いつかはこの日が来るように思ってて
「ひょっとしたら右はこのままいけるのかな。。。」
なんて思ったりもしたけど、現実は甘くないですね(><)

その後、ただただ時間は過ぎまていきました。日を追うごとに不安が減っていく左足に対して、日を追うごとに不安が積もる右足。理屈では、、、頭では、、、わかってるんだと思います。

2年間のリハビリを経て、やっと戻ってきた生活。満足のいくものではないけど、バスケして子供と走って。。。そんな生活にやっと手がかかったと思った時。。。

前回とさらに違うのは2年間のリハビリの大変さも、その長い時間も、一度経験してしまっているから。やっぱり落ち込みもします。

それとやはりチームスポーツなんで、2年かけて帰ってこれても、そこに一緒にバスケができるかけがえのない時間や仲間があるとは限らないのも悩ましいところ。老後が自分にもあって「あの時、先生の言葉に素直に従って早く手術受けておけば、、、」なんて日が来ることも想像できてしまう。

そんないいものじゃないですが、スラムダンクの山王戦で背中を負傷しついに倒れた花道に、「あと少しで一生後悔するところでした」と退場を勧告する安西先生。しかし花道は「オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本の時か? 俺は……俺は今なんだよ!!」と強い意志を伝え、コートに戻る気持ちが少しわかります。

夏にMRIがあるのでそこで再度決心することになると思うのですが、手術は4回しましたが、そのリスクも考えながら家族とも相談して。幸いにも奥さんは手術を理解してくれているので、あとは自分次第かな。

今のところ、もう一度トレーニング、減量などをしっかりやって。状態を見ながら、可能であれば1年だけバスケさせてもらえたらとも勝手ながら思う。秋のバスケのマスターズ全国大会へ少しでも参加できれば、、、。それで早ければ次の冬に手術。

今はそれを、、、淡い、遠い夢かもしれませんが、爆弾も抱えてますけど、左足が今度は頑張ってくれると信じて。

右が腫れたら先生にも言われた通りブレーキをしっかりかけて
壊し切ってからではせっかくの骨切りも、、、ってなってしまうし。

後悔のないように毎日を


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