自作自演
6歳までの両親との関わり方で今日までの生き方が決まる?!
感情を表に出してはいけない
他人を信じてはいけない
自分には生きる価値がない
親に迷惑をかけてはいけない
自分のことは理解してもらえない・・・etc
自分の中に形成された思い込みって自作自演での創造
聞こえないという特殊な能力があるワタシ
聞こえる子と比べられてきた
それによって聞こえなくて聞きたーーいと泣き叫んだこともある
ママの顔はほとんど覚えてない(すでにお空へ)
いろんな条件が重なって可哀想な子と過保護に育てられたんだねと言われる
可哀想な子だったのか、ワタシ
そんな可哀想なワタシにも
ちょうど聴力が落ち始めていることが判り
それまで出来ていた電話が時折聞こえなかったのだ
相手と電話で話さないとならない状況で
逆立ちしてもできない現実にぶち当たったことがある
ダディに代わりに電話をお願いしたら
“人に頼らず自分でやってみろ“と一言
はぁ?ってなるよね・・・
相手に聞こえないことを伝えて
メールでお願いするものできないと言われ
(ここだけ聞こえるという厄介な状況)
最終的に相手を怒らせてしまったのだ
聞こえないふりをして馬鹿にしているの?、、と。
何度伝えてもわかってもらえず
泣きながらできないと叫んだ時にダディが
「聞こえない自分に胸をはって、やってみろ」
うっすら涙を浮かべて唯一手を貸してくれなかった出来事だった
この時に助けてくれないんだ・・と思わなかったの?と
のちに聞かれたことがあるのだが
あー、ワタシはやっぱり聞こえないんだしょうがないな
、、としか思わなかったのだ
愛されているとか愛されてないとかそういうお話ではなく
ただしょうがないとしか思わなかった
この時は相手が怒ってしまい解決しなかったけれど
この出来事がきっかけで“メール化“の促進が出た
ワタシ?
一日落ち込んだけれど寝て起きたら忘れてました😇
考えてもしょうがないもん・・・
相手に対してしょうがないと思うパターンと
自分に対してしょうがないと思うパターン
違うと思う
よく受け取らなければ相手にかえるとかいうけれど
自分の中で気持ちの処理ができないと
それは受け取っているのと同じことになっちゃうんだと思う
この怒った相手はその後風の便りで聞いたお話は
ご主人と離婚され、子どもが重度の障害を持ったことで
仕事をやめて子どもの介護に専念されているそう
いろんな幸せの形があるねと皮肉にも思った出来事
やり取りの中で相手を指摘するような言動の人も
いい人の仮面をかぶっている下に
本当は般若のような姿が潜んでいるなら
それが本質になっちゃう
そうやって自作自演することで自分にかえるってことにつながる
心に余裕がない時の行動が一番の本質が出る
ここ最近一年前の今ごろの出来事がふと蘇る
たまに聞かれる友人に話すと
やっぱりあんた変わってるわ
普通はそこで相手に言うよ!とか言われちゃうけれど
いつも しょうがないな で終わってたワタシは
“言うことすらめんどくさかったのだ“
若いうちの苦労はこの先に財産になるよ
そう教えてもらってから
ただ“ありがとう“という気持ちだけ心の隅に
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何度もチャンスを掴んで欲しいと話す場も作り
一緒に向き合ったけれど
目の前でただ泣きながら
“ごめんなさい、もうしない“
この言葉の繰り返しで解決しなかった彼女
聞こえる耳があって
見える目があって
両脚で歩ける
見た目もスタイルもいいのに
心だけが荒んでた
今、幸せではないと少しでも感じる人がいるなら
自分の短所を見つけやすい自分攻撃タイプの人も
決して本音では言わない我慢タイプの人も
本音がわからず迷子タイプの人も
入りたいけれど入れない孤独タイプの人も
他人ではなくて自分自身との関わり方で
自分へのビリーフの選択を⭐︎