
リアルもネットも同じ
ネットは違う自分になれる
そういう言葉を見たことがあるのだけれど
とても違和感をひきづっていたのをこの記事を読んでスッキリした
ワタシは本質に、ボンタリーがあるので
コミュニケーションを取ることは苦ではない
(これは最近知ったことで自分を知ると言うことが楽しかった)
ただ、本能的に相手を選んで
コミュニケーションを取るらしく
自分で、うわー最低!と思ったけれど
これがストレスを溜めない秘訣になってるらしい
どうでもいい相手のコメントを相手をすることほど疲れることはない
気が向いたら相手にすることはあるけれどほんとに気が向いたらだ
そして、相手がこちらに顔を向けてないのに
話しかけることは基本的にしない
大抵、こういう人は内心で相手を見下しているからだ
何か一つ面白いことを言うより
相手が関心があることを言うことで感情のつながりができる
これって文字だけ声だけの世界では感情を読み取ることは
不可なのでできませんねん
声のトーンも騙せるものであるが、表情だけは絶対的なものがある
ポーカフェイスと言われたスポーツ選手がいるのだが
その人の表情にも絶対的なものがあり実証済みなのだ
コミュニケーションとは
意味の正確さより相手の表情を読み取りながら
判断することの方が大事
どちらかだけでもダメなのだ
ワタシ自身は積極的に関わってない人には
当然批判は不平をぶつけられるけれど
なに言ってるの?状態であまり興味がない
全ての人と関わりたいとは思ってないからだ
それでも友達と呼べる人はたくさんいる
声をかけてもらって運だけで生きてきた人生
知らないところで友達と言ってる人もいるけれど
悪意をじゃんじたり、悪口陰口を言う人には
直接“友達という名札を返してください“と伝える
Instagramは別だけれど
Facebookで繋がっている人は友達と言っても過言ではない
そして、その人がワタシの周りにいる友達と関わることは
その人の選択なのでワタシには関係ない
友達って本来増えていくものなのに減るって言うのもわからないし
※親友と呼べる人は多くない
ネットでリアルでない自分を出しても
結局悪循環で自分の中でもがいている人が多い気がする
今、手に持っているものを閉じた先にあるのが現実だから・・・
人から人へ繋がるって人生を楽しく生きた証
結婚もその一つだよ