幸せな3匹の地を這うねずみ
気づいたら、地を這うねずみになっていた。
空飛ぶイソギンチャクになって居場所になることを目指していた夏の日
空飛ぶイソギンチャクになりたい。人の集まる居場所になりたい。好きなように空を飛んで必要な人のところに移動して、包み込むクラゲみたいな居場所になりたい。
そーんなことを語った気がする。
ひとりぼっちが怖くて、誰かの居場所になりたくて、誰かの居場所に行きたくて。動かないイソギンチャクじゃなくて、動けるイソギンチャクになってクマノミたちの居場所になりたかった。
身軽に動き回って、安心安全な場所を提供できる空飛ぶイソギンチャクは夏の空にふわふわと浮いていた。
地を這うねずみ(3匹)
今の自分を例えると何になる?
3か月ぶりに話したまーさんから半年ぶりに投げられた質問。瞬間的に浮かんできたのは、”地を這う”というワードと”ねずみ”というワード。
それ以外のワードは全然出てこないし、なんだかこれがしっくり来てしまった。それほどぴったりくるチョイスだった。
まさしく今の自分は”地を這う”状態で”空を飛ぶ身軽さ”は足りていないし、イソギンチャクというよりは生命力あふれて自ら走り回るネズミだった。
全然違うじゃん!自分が望んでる姿じゃないじゃん!って思ったけれど、でも実はとてもうれしかった。それはそのネズミが”1匹じゃなくて3匹”だったから。
ひとりぼっちの空飛ぶことを夢見てたイソギンチャクはいつの間にかひとりぼっちではなくなっていた。
”今”を改めてみることで気づく、自分が変容していたこと
きっと3匹のねずみという言葉を口に出さなければ、自分の中で実感しなかったんだと思う。けれど半年間の多くの経験によって私は”みんなの居場所”を求める自分から、”あの人”の居場所になりたいと対象がいつの間にか変わっていた。
誰か、じゃなくて、あの人たちがいい。そんな風に思えるようになった。
それはきっと半年間、コーチングで1対1で向き合う時間をくれた人たちと出会って過ごしてきた時間や、初フルマラソン@名古屋に向けて応援してくれた人たちからのメッセージや、過去一忙しくて自分から手を伸ばせなくなったときに寄り添ってくれた人たちからの暖かさ。
そんな経験がいつの間にか私を変容させていた。
四方八方に手を広げたくて、広げられなくて、もがいていた私は地を這うような”苦しい日々”の中で、伸ばして差し出してくれる手の暖かさに気づいていた。
自分が得てきた経験に気が付いた瞬間、その手たちの存在が無視できなくなった。そしてさらに手を差し伸べる側にもなりたくなっていった。その思いが抑えられなくなっていた。
空飛ぶイソギンチャクになって居場所を届ける。
この私のビジョンは大切な自分の核にある。でもきっと今この瞬間自分が大事に抱えたいビジョンはまたちょっと違う。
誰にでも手を伸ばしたいわけではない。みんなに差し伸べられている手を取りたいわけではない。
自分とあなたがつながる手を、想いを、言葉を大事にしたい。
きっと今自分がつながれるのは10でも100でもなくて、3とかきっとそのくらい。両腕よりもちょっと多い、そのくらい。
つながれる数を増やしていきたいのか、つながっている線を太く・濃く・魅力的にしていきたいのか。これは私だけで決まることじゃないなって思う。私から一方的に伸ばすんじゃなくて、相手も伸ばすその手と手をつなぎたい。
でももうちょっと地を這う状態を改善して、つながる機会を増やしていきたいものである。つながる余白がもう少し欲しいのです。
ビジョンって未来を進むためのものだけではない
ずっとビジョンを持つこと、描くことは先に進む力や目的に向かっているかどうかを確信することにつながると思っていた。何かを変えて何かを始めるために、ビジョンを描くとよいと思っていた。
でもビジョンを改めて見直すことは、ビジョンを描いた”過去の自分の願い”と”今の自分の現在地”と”今の自分の願い”がそれぞれどこに向いているかを受け止めることになると思う。
気づくこと・受け入れること、そのことでまた自分のことを理解が進む。今の自分を受け止めることが、自分のここまでの努力を受け止めることになる。
半年頑張ってきているね。そんな一言を今はただ自分にかけたいなって思う。