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「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」という言葉は必要か

 ちょっと過激なタイトルになりましたが、日本の社会的習慣である、たった数年早く生まれた兄や姉を「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」と呼ばせることは本当に必要なのでしょうか?実は、姉兄だから、弟妹だからと、生まれた順番で役割を押し付けられることに不満を持ったり、不幸になる人がたくさんいます。 


明確な上下関係は儒教の教え


 日本人は年齢による上下関係を明確にすることを好みます。今の若い親御さんでも、日本の習慣として、自分の子どもたちの上下関係を明確にして、姉や兄、弟や妹の役割を教えようとします。これは、江戸時代に、社会的秩序を守るため幕府が積極的に取り入れた儒教の教えの中に、「長幼の序」という孟子の言葉があるからです。孟子は、「年長者と年少者との間には秩序があり、年下は年上を敬い、年上は年下を慈しむべきだ」としています。

 そして、明治民法では家制度という法律となり、家制度が廃止された現在でも脈々と、その習慣が日本人の意識下に組み込まれています。今でも、兄姉を「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼ばせるものの、弟妹は上から名前の呼び捨てにされることを当然としています。そして、兄姉には年長者としての自覚や責任感を持たせ、弟妹には年長者の言うことを聞き尊敬の念を持つことを、社会全体が期待します。

 しかし、それは本人の能力や意思とは関係のない、押し付けられた役割です。このような押し付けに、日本人は誰も違和感を覚えないのでしょうか。
 

生れた順番で役割を与えるのが良いことなのか


 私は、昭和一桁生まれの親を持つ3人姉妹の一番下に生まれました。戦時中に育った父とその母(祖母)は、たいへんな男尊女卑思考、且つ年長者優先を好む人でした。家や家業の存続を個人の幸せより優先させることに執着していました。そして、私は、将来家を継ぐ姉への尊敬を強いられました。

 父は男子がいなかったため、姉の長男を成人後に孫養子にしました。姉には息子が2人いましたが、父は上の子だけを可愛がりました。私の祖母も、隠れて初孫の姉だけにお小遣いをあげるような人で、父もやることが似ていました。しかし、誰かが優遇されると必ず分断が起き不幸になります。私たちは結局仲の良い姉妹にはなれず、姉は無理やり継がされた家業に失敗しました。甥兄弟の仲も冷たく、弟は成人後、孫差別をした祖父の見舞いに一度も行きませんでした。

 これは極端な例かもしれません。しかし、「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」と呼ばせることは、「お姉ちゃんだから我慢しなさい」、「弟だから兄を尊敬しなさい」、「お兄ちゃんだから、お墓や親の面倒みてくれるわよね」という親の暗黙のサインに聞こえます。言葉はその裏にある、社会から期待される役割を表します。今では「嫁」という言葉が女性から嫌われているのも良い例ではないでしょうか。 

だんだん名前で呼ばせる親が増えている


 わが家は、海外で暮らす国際結婚家族ということもあり、子どもたちは自然と名前で呼び合って育ちました。そして、私が子ども差別や孫差別を受けた経験から、自分の子どもたちに、生まれた順番での役割を押し付けたことは一度もありません。

 兄弟姉妹間の競争心というのは激しいもので、ちょっとしたことでも喧嘩は起きます。私が子育て中に驚いたのは、子どもたちの食べ物への執着でした。ケーキを切り分ける時でも、どちらかのピースが少しでも大きいと喧嘩になるのです。私たち夫婦は、とにかく姉弟平等に接することを心掛け、買い与える物も、習いごとも、教育費もまったく同じにしました。そして、「世界に2人しかいない姉と弟は仲良く助け合って生きていってほしい」とお願いしました。お陰で子どもたちは、誰もが驚くほど、とても仲の良い姉弟に育ちました。

 今では日本でも、兄弟姉妹に名前で呼ばせる家庭が増えています。若い子育て世代で、「自分たち兄弟は名前で呼んでいた」、「『お姉ちゃんだから我慢しなさい』と言われずに育った」と言う人は、兄弟姉妹間の差別を感じずに子ども時代を過ごせたことを、親にとても感謝しているそうです。そして、自分の子どもたちも名前で呼ばせたり、兄弟姉妹間で摩擦が起きないように気をつけているそうです。
 

習慣でも疑ってみることは大事


 年齢の違いは、大人になると能力に何ら差がありません。年上のほうが優秀などとは、今では誰も思わないでしょう。大事なのは年上、年下に関係なく、人間がお互いを尊敬しあうことです。そして、年上も年下に学ぶ姿勢を持つことです。

 家が大事、親の面倒を見ることが大事ならば、兄弟姉妹で責任を分担すればよく、そのためには兄弟姉妹の関係が対等でなくてはいけません。「昔からこうなっていた」、「日本の習慣だから」と闇雲に従うことが、本当に子供のためになっているとは思いません。まずは、何事も疑ってみることが大事だと思います。

参考:「日本の家族と民法」加賀山 茂


この記事はカナダ日本語情報誌『TORJA』連載コラム『カエデの多言語はぐくみ通信』2021年9月号に寄稿したものです。 https://torja.ca/kaede-trilingual-19/

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