デッドマン・ドラマチック・デイズ 第1話【創作大賞2024漫画原作部門応募作】
【あらすじ】
平凡な大学生、相田隼人は不慮の交通事故で死んでしまう。
天界の門番に生き返らせろとごねていると、ミシェルと名乗る「因果の天使」に、生き返らせてやる代わりに、「因果」をいじってドラマティックな人生になるけどいいかと聞かれ、同意する。
相田が生き返ると、下宿先のアパートは大火事で全焼。
速攻ホームレスになり河川敷で路上生活をするが、拾った宝くじが高額当選。
高級ホテルで豪遊していたら美女が部屋に押しかけてきてエッチ展開。
かと思いきや怒り狂った大勢のヤクザに追われて死に物狂いで逃げる羽目に。
――幸せな日常が死合わせな非日常へ。
大人しく死んでおけばよかった男のドラマティック・コメディ。
【キャラ設定】
相田隼人(あいだ はやと) 18歳 大学生
この春大学生になったばかりの平凡な男。
埼玉の実家から都内の大学近くに一人暮らしをしていたら、深夜のコンビニ前で車に轢かれて死んでしまう。
死後の世界で生き返らせてくれとごねて、天界一の問題児、ミシェルに気に入られたのが運の尽き。
生き返れたはいいが、「因果」をいじられ、常人では考えられないドラマティックな人生を生きる羽目に。
面倒くさがりのことなかれ主義のZ世代だが、ここぞという時の決断に爆発力がある。
ミシェル 天使 性別・年齢不明
美しい金髪と、整った顔立ちを持つ「因果」の天使。
見た目は絵画のように美しいが、因果を操作できる能力を面白半分で悪用するため、大天使から目をつけられている大問題児。
全知全能の天使なので、人間(特に相田)のことなど、人間にとっての虫ぐらいにしか思っていない。
相田が苦しみ悩み葛藤する様を見てゲラゲラ笑っている。
【ストーリー設定、展開】
死後の世界があり、天使や神様が人間の人生を眺めているという世界観。
人間としての成長や友情、恋愛模様で魅せるというよりは、
「起承転結」を「起承、転転転転転転転……」と、ずっとトンデモ展開が続いていく疾走感のあるストーリーにしたいです。
「因果」の天使に運命を弄られ、ドラマティックにしか生きられない男、という設定なので、
「この状況で次なにが起きたら面白いか?」「それをどう解決するのか?」という大喜利的な感覚で読者の方に楽しんでもらえる漫画になる思います。
最終的な結末は、因果を弄り人間で遊びすぎたミシェルが大天使から叱られ天界に戻る羽目になり、相田のドラマティックな運命は終わるのだが、
相田が翻弄されている最中にも、途中で優しい行動をしたり善行を積んだおかげで、普通の生活に戻っても周りの人から愛される生活になっている、というオチにしたいです。
【第1話シナリオ】
視界いっぱいの青空。
内臓が全部浮くような感覚の後、俺はその一面の青へと無様に落ちていった。
まぶたを開けていられない。肌が空気に斬りつけられるかのように痛い。
令和の時代にニュートンが生きていたのなら、木から落ちるリンゴではなく、間抜け面で窓から落下する俺を見て万有引力を発見すればいいというほどの勢いで、ただただ落ちていく。
毛穴が開き、涙と鼻水が垂れるも、その雫はすぐに上空へと舞い上がる。
ジェットコースターなんて比にならないスピードで、落下、落下、落下する。
「うわあああああああーーーーーーーーーーーー!!」
裏返った渾身の情けない叫び声が、天高く響き渡る。
地上30階からコンクリートに向かって一直線に落ち続ける、即死確定の俺に手を差し伸べる人なんてこの世にいないのに。
Tシャツは落ち続ける俺の冷や汗を吸い取ってはくれず、無力に腹丸出しではためき続ける。
のんきに飛んでいる鳥と目があった。なんでこんなところに人間が?と二度見をされたような気がする。
俺の横には、見飽きた下卑た笑みを浮かべる天使のクソ野郎が金髪をなびかせている。
俺は心の中で大きく叫んだ。
助けてくれ!!!
しかし返事はいつもの通りだ。
「さあさあ、葛藤しろ、苦悩しろ、絶望しろ!
それでこそ生きている心地がするってもんだろう、愚かな人間よ!」
そう言って天使は、それはそれは楽しそうに笑った。
美しい笑顔はどんな悪魔よりもたちの悪いものだった。
本当に、死んだほうがマシだったのかもしれない。
あと3秒後に脳漿飛び散らせて死ぬはずの俺はその天使に向かって中指を立てた。
本当に、ドラマティックな人生だこと。
デッドマン・ドラマチック・デイズ
~幸せな日常が死合わせな非日常へ~
始まりは、数週間前。
真っ白な空間で俺が最初に思ったのは、「あれ、いつの間に雨止んだっけ」ということだった。
気がつくと周りはぼんやりとした空間。うすら寒い空気が首筋に絡みついてくる。
なんだか頭が酷く重いのに体は妙に軽い。
俺は頬を掻きながら辺りを見渡した。
「ここどこだ」
痰の絡んだこもった声が漏れた。
さっきまで、日曜の夜中0時に店頭に並ぶ週刊誌を立ち読みしに雨の中コンビニに出かけたところだったはずだ。
ビニール傘を店に忘れてきた。買ったばかりで綺麗だから早く戻らないとパクられる。時間を確認しようとポケットに手を突っ込んだが、スマホは入っていなかった。
妙に寒いので無意識のうちに腕をさすっていると、いきなり目の前にスポットライトが落ちた。
不意をつかれて驚いていたら、ライトが当たった所に一人の男が立っている。
口髭を生やしているが、肌の感じからするとまだ若そうだ。
思わず小さく悲鳴を上げてしまった俺を、切れ長の瞳でじっと見つめていたが、しばらくしてその薄情そうな薄い唇を吊り上げ、
「この度はご愁傷様です!」
とお辞儀をしてきた。
まるで元気のいいファーストフードの店員のような対応だ。
こちらが呆気にとられていると、男はどこから取り出したのか右手に持っている分厚い本をぱらぱらとめくり、
「相田隼人、享年十八歳。
宇宙系第三惑星地球、日本国、東京出身。
死因は頭蓋骨陥没、脊髄損傷で即死。
ようこそいらっしゃいました」
男はそう言うと四十五度に腰を曲げて頭を下げた。
半身を起した男と再び目が合うと、にこりと微笑まれる。
突然名前と歳と出身惑星と出身地と――死因を、告げられ、俺は訝しげに眉をひそめたまま言葉を探した。
「待って、ちょっと頭が追いつかない」
こめかみを押さえながらやっと出た言葉がそれだ。
男は本を閉じて「待ちましょう」と直立不動で立って待ってくれている。俺の心の整理がつくまで。
「ええと、ここはどこ」
「死後の世界ですね」
「あんたは誰」
「ここで門番をしている者です」
「門番って何」
「生前の活動や死者の資質に合わせて、次の転生先を決める役職ですね」
『生前』、『死者』、『転生』……。縁起の悪い単語が続いている。
転生なんて、ラノベの中だけで十分だ。
「……俺は死んだの?」
恐る恐る、掠れた声を出す。
門番は物分かりのいい俺に、うんうんと相槌を打つ。
「信じられないのも無理はありません。即死だったみたいですからね」
「死んだわけないだろ、俺はただコンビニに行っただけだ!」
「では、確認してみますか?」
そう言って門番が人差し指を掲げると、真っ白な部屋に映像が浮かび上がった。
プロジェクターのような要領で動画が流れ出す。
アパートからパーカー姿で出てきた俺。大雨の中の夜、ビニール傘を差しながら気だるげに歩いている。クロックスを履いている足元は跳ね返った水で濡れてびしょびしょだ。
監視カメラから撮っているような、斜め上から俯瞰で見たアングル。
片手に持ったスマホの画面に目を落とし、コンビニまで向かうどこにでもいる大学生。
そして次に瞬間、右折してきた大きなトラックが、俺の背中からすごい勢いで突っ込んできた。
唐突なことに、ひい! と思わず声を上げてしまう。
SNSのショート動画で、海外の九死に一生のシーンとして見たことがあるが、あれは大抵間一髪生きていることが多い。
しかしこれは、トラックとコンビニの壁に挟まれた俺が、文字通りペシャンコになり鮮血とガラスの破片を飛び散らせていた。
センシティブ規制すぎる。
医療ドラマの手術シーンでも怖がる自分にその光景は刺激が強すぎて、嘔吐感が込み上げてくるのを必死にこらえた。
確かに、俺の記憶はコンビニで立ち読みをするためアパートを出たところでプッツリと途切れている。
雨がなんで止んだんだろう、と真っ白なこの部屋の空を見上げたのだから。
よく見たらパーカー姿だったはずが、いつの間にか黒Tシャツにジーンズ姿に着替えている。死後の世界の正装はまるでスティーブ・ジョブズだ。
「ご理解いただけましたでしょうか」
門番がもう一度人差し指を立てると、ふっと画像は消えた。
「自分の死を受け入れられず自縛霊になる人は多いのです。不慮の事故で心の準備ができてなかった方は特に。そのため私たち門番が強制的に転生先を選定するのです」
「転生…」
「要は、来世は何に生まれ変わるか、ということですね」
門番の言葉に少し思案する。
確かに生き返りたいが、来世イケメンになれるのならば、相田隼人の人生はここで終了にして生まれ変わるのもありか、とも思う。
美女もありだな。鏡の前でいろんなポーズ取りたいし、男を手玉にコロコロ遊んでみたい気もする。
しかし、門番は俺の心を見透かしたのか、首を横に振った。
「誠に残念ですが…相田様はとても罪深いお方ですので、次に人間に生まれ変わることは無理ですね」
手元にある本のページをめくりながら、眉を顰めている門番。
「は? 俺なんも罪なんて犯してないよ」
まるで前科者のような言い草だ。
思いつく限り善良な市民として過ごしてきた。
小学生の時に駄菓子屋で万引きする奴らもいたが、俺は誓ってしていない。
どこにでもいる超平均的な大学生だ。
「えーと相田様は、生涯で信号無視を8200回してらっしゃいますね」
「はっ…8200回ぃ…?」
飛び出た4桁の数字に、思わず素っ頓狂な声をあげる。
そして思い出した。
郊外に建つ実家の玄関前には、細い道路と小さな信号がある。
ほとんど車なんて通らないくせに信号が変わるのが遅いので、俺はいつも気にせず渡っていた。
1年間は365日。往復730回。小学生から高校卒業まで12年。
大体の計算は合う。
死んでいるというのに、背中に冷や汗が浮かぶ。
そういえば実家の母親は律儀に毎回信号を守っていた。どうせ車なんて来やしないのに、と言う俺に、
今日来なくても、明日来るかもしれない。ルールは守りなさい、隼人。
といつも言っていた。
あと5分早く起きれば信号の一つ待てたのに、いつも遅刻ギリギリの俺は、赤信号だろうがどうせ車の来ない信号を無視していた。
きっと母ちゃんは来世人間に生まれ変われるんだろうな。
最期もおあつらえ向きだ。
アパートの前にも確か細い道路と信号があった。俺はそんなの無視して渡ってコンビニに立ち読みしに行った。
その結果、大雨で視界不良かつタイヤがスリップしたトラックに潰されて、センシティブ認定だ。
アパートの前の信号を守っていたら。数分違っていたら、命は助かっていたかもしれない。
俺は下唇を噛んだ。
門番は次々に俺の罪を読み上げていく。
友人の漫画を横領3回、カフェのプラスチックゴミを紙ごみに入れたこと120回。
燃えるゴミと資源ごみを分別しないこと221回。18歳未満なのにアダルトサイトを見たこと64回。
あーこれはもう同情の余地ありませんねぇ、と天界の門番のため息。
誰だってそんくらいやってんだろ。ゴミ関連多いな。マサト、借りパクしてごめん。
「相田様は哺乳類も無理そうですので…来世はカエルかアメンボですかね」
信号無視8200回がかなり効いているらしい。人間どころか犬猫の哺乳類も不可能とのことだ。
「待ってくれよ、そんなのに生まれ変わりたくない!」
俺は必死に訴えた。
「生き返らせてくれ、頼む。必ずやり直すから。信号は守るから」
すると門番は今までの愛想の良い対応はどこへやら、こいつ超めんどくせぇな、と今にも舌打ちをしそうな表情を浮かべてきた。
曲がりなりにも接客業をする奴の態度ではない。死後の世界の門番が接客業に分類されるのかは分からないが。
成績はオール三、かけっこも縄跳びも人並み、バレンタインチョコは母親からのみ。帰宅部でチャリ通で、ゲーセンと牛丼と可愛いアイドルが好き。流行りの歌なら何でも聴くし、おすすめ動画はとりあえず再生するし、バイト遅番の次の日は一限をサボる。
そう、普通だ。
俺は普通の大学生としてただ生きていただけなのに。
「……死にたくない」
好きな子に彼氏ができた時だって、滑り止めの大学にしか受からなかった時だって、嫌いな店長と二人でバイト回さなきゃいけない時だって。
俺は軽率に、あー死にてーとため息をついていた。
なのに今こんなにも、死にたくない。
口を押さえてうなだれた俺に、門番の同情の視線が突き刺さる。
生き返りたい俺と、無言で拒否する門番との我慢比べの時間が繰り広げられた。
「何か、もめてるのかい」
数分経っただろうか、頭上から声がかかった。
顔を上げると、真っ白な空間の中に、人間がふわふわと浮かんでいる。
声の主は優雅に地面に着地すると髪をかき上げた。
サラサラの金髪に、翡翠の宝石のように澄んだ瞳、真っ白な肌をもつ、人間離れした美しさ。
思わず見惚れていたら、門番が慌てた様子で返事をした。
「生き返りたいと人間がごねておりまして。
よくあることですので、あなた様の手を煩わせるほどではありません、ええ」
まるで会社の偉い上司が声をかけてきたかのように、門番はぺこぺこと頭を下げながら場を収めようとしている。
「アンタ、誰だよ?」
突然の来訪者に向けた俺の言葉に、門番が顔を引きつらせた。
なんて無礼な、と口パクで言っている。
「ふふ。あなたたちの世界でいうところの天使だよ」
天使と名乗った金髪は、俺を正面で見つめると、目を細めた。
「天使なのに羽は生えてないのか」
「偶像は総じて美化されているものだ。わたしたちは羽などなくても空を飛べる」
天使は、美術の教科書に載っている中世の絵画か、サイゼリアの壁の絵のように白い羽が生えているものだと思ったが、確かにこいつはさっき空からふわふわと降りてきた。
天使は俺の頭から爪先まで値踏みするように見回す。
「生き返りたいのか? 人間。なにかやり残したことがあるのかい?」
「……何もない。やり残したことも、後悔することも」
毎日漫然と飯食ってクソをして学校に行き単位とってぼんやりと過ごしていた。
きっとこの先50年、生きれると漠然と思っていた。
くだらない人生だった。
「だから今度は、死んで後悔するような人生を送りたい」
かっこよく啖呵を切ったはいいが、声が震えていた。
まるでマネキンのように整った顔の天使は、急に俺の顔をまじまじと見つめる。
ゆっくりと手を伸ばすと、俺の顎を掴み覗き込んできた。顎クイだ。
「おもしろい」
翡翠の瞳に映った、間抜けで腑抜けた情けない俺の顔と目が合った。
「……わたし達にはひとりひとり役目が与えられていてね。
『愛』を司る天使は、人間たちに愛と言う感情を与える。 よく言うだろう? あの人は神に愛されし人間だって。妙にモテる奴は、愛を司る天使が贔屓した人間だ」
つらつらと雄弁に語る。
「『勇気』の天使、『文学』の天使、『美』の天使。『節約』の天使ってのもいるよ。こいつに好かれたら一生節約。いわゆる貧乏神だな」
なるほど。天使にも一人一人担当があるってことだな。わかりやすく解説をしてくれて助かる。
「じゃあ、アンタはなんの天使なんだ」
「わたしは『因果』を司る天使だ」
胸に手を当てて、自分に誇りを持っている調子で天使は朗々と語る。
「あなたたち人間が好きな風に言うと、『運命』ってやつだな」
その顔でふと笑いかけるものだから、正直どきっとした。
死んでいるのに鼓動が速くなる感覚があるなんておかしな話だ。
運命の天使なんて、ロマンチックじゃないか。
因果の天使はそっと俺の顎から手を離す。
「生き返らせてあげようか、人間」
「本当か!?」
「その代わりちょっとばかりあなたの因果をいじるから、人より少しドラマチックな人生になると思うけど、それでもいいのなら」
「因果を、いじる?」
「天使の世界も色々大変でね。大天使に昇格するには、実地試験に受からなきゃいけなくて。君の人生をレポートに書いて提出しよう」
天使にもゼミの課題みたいなのがあるんだな。
しかし、ミスター平凡な自分。バイトの面接の履歴書には趣味は映画鑑賞(ネトフリ)と読書(漫画アプリ)としか書くことが出来ない男だ。
ドラマチックな人生なんて、憧れる。
「もちろん、喜んで!」
居酒屋の店員みたいな返事をしたら、天使も満足そうに頷いた。
「よし、あとで文句は無しだよ。さ、手を出して」
金髪の美しき因果の天使は、文字通り俺の救世主だった。
細く白い手を、握手の形で差し出してきた。
「相田さん!」
天使の手を握り返そうとした俺に、後ろから門番の男が焦って声を張り上げる。
「悪い事は言いません、今からでも撤回なさい!
あなたは比較的善人なのですから、真面目に天界で仕事をすればニワトリや牛に生まれ変わることもできます」
なぜか必死にやめた方がいいと止めてくる。
門番は次の転生先を決めるのが仕事だから、勝手に生き返らされてしまうと門番の上司から怒られるのかもしれない。
でもニワトリだの牛だの、哺乳類になれても家畜の域を出られないじゃないか。
人間に生まれるには何十回輪廻をくり返しゃいいんだよ?
「うるさい、俺は、この人生をちゃんと謳歌したいんだ」
「そんな……!」
絶句している門番に、天使はにこりと微笑みかける。
「さあ、わたしの手を握るんだ。そしたら現世に戻れる」
俺は恐る恐る、手汗をかきまくってる手をジーンズで拭いた後、そっとその細い手を握り返した。
途端、明るい光が俺たちを包み込む。
きっとこの光は、生き返って現世に戻れるための光なんだと理解した俺は、目の前の恩人に話しかける。
「アンタ、名前は?」
天使の手は冷たかった。
「そうだね、ミシェルとでも呼んでおくれ」
金髪の因果の天使は、自らをミシェルと名乗った。
視界いっぱいが真っ白に染まり、俺の意識はゆっくりと消えていく。
* * *
そうして、真っ白な空間には門番の男性が一人、ポツンと取り残された。
さっきまで、美しき天使と愚かな人間がいた場所を見つめながら、独り言を呟く。
「……天界一の大問題児、ミシエル様に目をつけられるなんて」
面白そうなことを見つけると首を突っ込んできて、他人の因果を引っ掻き回すことが大好きな、厄介な天使。
「あの人間、おとなしく死んでおけばよかったのに」
門番はため息をつくと、そっと手元の本を閉じた。
* * *
そうして俺は性懲りも無く目を開けた。
気づいたら目の前には信号があって、自分はコンビニの入り口にある駐車場に立っていることに気がついた。
日曜の夜中に立ち読みをしようと、大雨の中外に出た際に、トラックにペシャンコにされたコンビニの前だ。
死んだのがここだから、生き返ったのもこの場所なのかもしれない。
粉々に砕け散ったコンビニの壁はすっかり直っていて、事故ごと無かったことになっているようだ。
着慣れたパーカー姿で、俺は両手で両頬を叩いた。
痛い。痛いけど、これが生きている証だ。
俺は今にでも走り出したい気持ちになったが、目の前の信号を守るために貧乏ゆすりしながら青信号になるのを待った。
もう二度と信号無視なんかしないよ。どんなに車が来なかろうが、必ず立ち止まるよ。
青信号になって走り出す。
スニーカーでアスファルトを蹴る感触が、こんなにも愛おしい。
顔に当たる風が、初夏の日差しが、脈打つ鼓動が、こんなにも嬉しいなんて。
俺は生きている、生き返ったんだ!
家に帰ろう、そして準備をして、いつもと同じように学校に行こう。
資格をとって勉強をしようか。ボランティアをしようか。たくさん恋をしようか。
漫然と漠然と生きて、死んでしまった人生をやり直すために、一からやり直すんだ!
なんだか煙臭い。
最初は近所で魚でも焼いているのかと思ったが、走るたびに吸い込む煙の量が増えていき、最後にはむせこんで立ち止まってしまった。
肺いっぱいに、苦く臭い煙の匂いが広がり、息苦しい。
煙で囲まれたその場所は、慣れ親しんだ俺の住んでいるアパートの前だった。
そのアパートが、赤い炎を巻き上げて轟々と燃えていた。
「…………は?」
本当に驚いた時には言葉なんて出てこないんだな。
真っ黒な煙が吹き上げている。
顔に熱波がかかり、思わず悲鳴を上げて後ずさった。
アパートの前には大家のおばちゃんがエプロン姿にスリッパのまま立ちすくんでいる。
誰かの怒号、泣き声、救急車を呼ぶ電話の声。
2階の角部屋、家賃の割に日当たりが良くてコンビニも近いと、大学進学の際に内見をして即決した俺の部屋は、見るも無惨に真っ黒に焼けていた。
ドス黒い煙が窓から噴き出て、破片がパラパラ落ちる。
あの部屋には、パソコンもスマホも冷蔵庫も洗濯機もベッドも、財布も通帳も鞄も卒業文集もエロ本も俺の全てがあるのに。
ヒューヒューと、自分の呼吸が遠くに感じた。そのくせ鼓動は耳の裏で激しく鳴っている。
消防車と救急車のサイレンが聞こえた。
二つの音は閑静な住宅地につんざくように鳴り響き、すぐに消防隊たちがホースを持って降りてきた。
危ないから下がってくださいと、呆然と立ちすくむ俺を安全な場所に押しやった。
アパートが燃えている。俺の生活の全てが、焼け落ちていく。
不意に後ろから、肩をポンポンと叩かれた。
ギクシャクと振り返ると、天使がとても美しい顔で笑っていた。
「生き返った気持ちはどうだい? 相田隼人くん」
生き返らせてくれた救世主だと思った因果の天使、ミシェルは耳元で悪魔の囁きをする。
「ドラマティックだろう?」
家が全焼した。
平凡な相田隼人の、ドラマティックな第二の人生の幕開けだった。
【第1話 完】