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霊憑き男子は推し活女子に恋をする 第11話【創作大賞2024恋愛小説部門応募作】

 駅を挟んで私の勤めているホテルからは真逆に位置する建物。
 横はファッションビルになっており、眩いほどの光が私を迎えてくれる。

 切れ切れの息を直すために大きく息を吸うと内臓が痛んだ。
 扉に寄りかかりながらホテルの中に入る。

 ドアボーイが物凄く不審な目で見てきた。
 これで私がぼろぼろの服を着ていたら完璧に連行されるところだが、とりあえずワイシャツにネクタイをしていたので見過ごされた。

 息つく暇もなく、左右を見渡した。
 ホテルの中は暖房がきいていて、走った後で火照った体には少々熱い。

 一体何処にいるのだろう。目を皿のようにして辺りをうかがう。
 ホテルの内装は洒落ており、そこら中にツリーなどの飾りがおいてある。

 これではうちのレストランも客を取られてしまうな、と企業スパイのようなことを考える。

 手持ち無沙汰で怪しくうろついていた私の視界に、見慣れた黒髪が映った。

 そこにいたのは紛れも無く早坂さんで、赤いニットのセーターにスカート姿で、ロビー側の喫茶店でお茶を飲んでいた。

 誰かと向かい合わせになって喋っている彼女。上手い角度で相手の顔は見えないが、どうやら背格好からして男性のようだ。

 早坂さんが男とお茶をして談笑している。
 しかもクリスマスに。

 眠っていた感情がふつふつと沸いてきた。
 相手が男と分かった途端に、ジェラシーの炎が私の身を焦がすのだ。

 彼女は私の恋人でもなんでもないと分かっているのだが。

 早坂さんは髪をかき上げながら屈託なく笑っている。その笑顔に何度ときめいたことだろう。
なんだかずいぶん久しぶりにその顔を見たような気がして、私はそっと息を止める。

 クリスマスのホテルはやはり混んでいて、立ちすくむ私の前を幾人もの人が通り過ぎる。

 その影で見え隠れしている早坂さんが、瞬きしたら消えてしまうのではないかと思い、そっと彼女の座る席へと歩み寄る。

 まだこちらに気づく気配は一向に無い。

「すみません、無理言っちゃって。
 今日会ってだなんて」

「いや、驚いたけど良かったよ。奈々ちゃんみたいな可愛い子からのお誘いなら大歓迎さ」

 軽薄そうな男の声。
 早坂さんはくすくすと楽しそうに笑うのだ。

 この前泣いていた顔とは対照的な表情。口を引き締める。

「でもまさか……だとは。
自分からこんなところに呼び出すなんて…」

「そんなこと言わないでください…私だって好きでこんなこと……。
でも、欲しくてたまらないんです」

「いいんだけどさ、俺はどっちでも」

「どっちでもいいなんて…大切なことですよ」

 所々聞こえづらいところがあったのだが、なんというか、その、嫌な予感がする会話だ。

『なんだかとても卑猥な会話に聞こえるのは拙者だけか?』

 頭の中で陣八が呟く。
 私も今そう思っていた所だ。

 いやしかし、早坂さんに限って、自分からホテルに男を呼び出すなんてありえないし信じられない。冷や汗が背中を伝う。

「直接会いたかったんです。無理言ってごめんなさい」

「いや、じゃあ早く始めようか」

 一体ここで何をはじめようと言うんだ!?

 私はまさに、バンジージャンプの飛び降りる寸前のような気持ちだ。
 突き飛ばされれば終わり、といったような。

 顔の見えない男は乗り出して早坂さんに言った。

「そんなに好きなの?」

 私が生唾を飲み込んで目を見開くと、頬を赤くした早坂さんが目をそらしながら、しかしはっきりと、

「……はい、好きです」

 と、はにかんだ。

 私の中の何かが崩れた。
 物陰から飛び出し、陣八の制止の声も聞かずにそのテーブルへと向かっていた。

「部屋を取ってあるから、そこで…」

と大胆にも部屋へと誘っている男の後頭部めがけて、近くにおいてあったポインセチアの鉢植えを投げつけるのだ。

「当たれぇえええええええ―――ー!」

私の情けない叫び声が効いたのか、鉢植えは見事に男の後頭部にぶつかり、
「ぐおっ」とうめき声を出しながら男は床に転がって倒れた。

私はそいつを足蹴にして、何が起こったのか分からないというように口をあんぐりと開けている早坂さんに歩み寄り、彼女に覆いかぶさるようにして、肩を揺さぶった。

「ええ、遠野さん!どうして!?」

「どうしてもこうしてもないですよ。こんな所でデートをしているなんて酷いじゃないですか。
再三の私の告白じみたことは華麗にスルーしたというのに!そんなに私のことが嫌いですか?」

「何言ってるんですか、ちょっと、近いですよ離してください!」

「嫌です。今まではシン様が好きだったから我慢していたんです。
一般人の彼氏がいるならなんで言ってくださらなかったんですか。
私の想いを知っていてそんな事したのなら、今まで紳士的に振舞っていた私も今日という今日は狼にならざるをえない」

「お、落ち着いてください!」

『落ち着け彰文!』

 二人に止められても私の暴走は止まらない。愛らしい彼女の顔を見ていると、不意に涙が浮かんでくる。

「しかもわざわざクリスマスにそんなことするなんて、一人身の私に対する嫌がらせですか」

「違います、ただ…」

「何が違うんですか!男の純情をもてあそんだ罪は重いですよ。今ここで抱きしめられても早坂さんは何の文句も言えないはずだ!」

「きゃー!!」

『彰文!いい加減にしろ!』
 
ホテルは凄い騒ぎになっていた。

突如喫茶店に乱入してきた私のせいで支配人やら店員やらが大勢集まってきたが私の悲しみは止まらない。

あまりの事態に私が男泣きしそうになった時、背後でうめき声が聞こえたのだ。

「くそっ、痛ぇな誰だよ!」

 大声と共に立ち上がった、早坂さんの彼氏と思わしき男は後頭部をさすりながら振り返った。
 私は初めてその男の顔を正視して、愕然とした。

 ユキヤだった。

絶壁頭のおかげで坊主にならなくて済むといっていた、父親がサーカスの団長で本人は落ちこぼれの落第生だった、いつもうちで同じ釜の飯食ってる男だったのだ。

思わず私は「なんでお前なんだ!」と叫んでしまった。

ユキヤは、ポインセチアの鉢の当たった後頭部をさすりながら、

「これ、プラスチックのだったからよかったけど、本物の鉢植えだったら俺死んでるぞ」

と非難じみた顔で私を見てきた。

そのメガネの縁がたまらなく憎たらしい。ハンマーを持っていたならためらわずに叩き割ってやったのに。

お前など、実家のサーカス団に帰って火の輪くぐりの練習でもしていろ。

「早坂さんとはどのくらい前から付き合ってるんだ?どこまでの関係なんだ?答えろ」

「おい、何泣いてるんだよ彰文。落ち着けよ」

ユキヤは驚いたように私を見つめている。泣いてなどいない。これは汗だ。

「ま、待ってくださいよ遠野さん、何か勘違いしてませんか?
私とその方は、今日初対面ですよ」
 
野次馬たちに見られ、店の店員に何事かと尋ねられ、恥ずかしそうな早坂さんはそう答える。
おめかししている愛らしいその姿にも、心ときめかされるのだが。

「ユキヤー!お前、初対面の女の人をホテルに呼び出すのか!
どれだけケダモノなんだ貴様は!
マッチングアプリだな? そうやって遊べる女性をあさってるんだろ、今日という今日はお前みたいな男のクズはこの手で葬ってやる」

「だから違うって言ってるだろ!」

まるで先程のヨシのお母さんのように、がくがくとユキヤの首を揺さぶる。
慌てて間に止めに入った早坂さんに、

「こいつがそんなに良いんですか。六股かけてますよ。貴女は七人目だ」

と説得するが、彼女は困ったような顔をするだけだ。

「俺はチケットを売りに来ただけだよ!
彼女が直接会いたいって言うから」
 
ユキヤの言葉に、私は揺さぶるのを止めた。
 
チケット?
 
むせ込みながら開放されたユキヤは、ずれた眼鏡を押し上げる。

「俺の彼女の一人が行きたいライブがあるから取ったんだけど、仕事が入っていけなくなったんだって。
結構いい値段するし捨てるのは勿体無いし、公式リセールは終わってたからSNSで欲しい人いないか呼びかけたんだ。
そしたら今回この子連絡くれたんだよ。
俺は振り込みと郵送でいいって言ったんだけど、どうしても直接会って貰いたいって言うからここで待ち合わせしたわけ。
でも俺、彼女全員に二時間ごとに会わなきゃいけないから、予約しといたホテルに来てもらったんだよ」

「すみません、最近チケット詐欺が流行ってるので、直接貰えるまで信用できなくて…」

 ユキヤの説明に、私は開いた口がふさがらなかった。
 確かにそういうことなら合点がいく。

 嫌な予感がした。

「……ちなみに、そのチケットって、なんですか」

 私の問いかけに、早坂さんは物凄く恥ずかしそうに、消えそうな声で答えた。

「シン様の、カウントダウンコンサートのチケットです……」

 絶句した。 
 いや、絶句しかしようが無い。

 この期に及んで、まだシン様ですか早坂さん。

 体中の力が一気に抜けて脱力した私は、目の前の椅子に腰掛けてがっくりとうなだれた。

シン様って。カウントダウンコンサートって。

見ず知らずの人と直接会ってチケットを買うほど、行きたかったんですか。

「だ、だって、やっぱりシン様の事は好きなんですもん!
彼女がいようが、結婚しようが、私はずっとファンです!
遠野さんに昨日言われて、それで決心したんです! ずっと応援するって!」

彼女は顔を真っ赤にして必死にフォローしている。
私の顔を覗き込んで、聞いてますか?と、照れ隠しに怒りながら。

「確かに、芸能人からしたら理想のファン像でしょうね」

「ですよね? 好きな気持ちは止められないんです!」
 
ああ、なんて。
なんて愛しいんだ。
 
私は、体の奥から湧き上がってくる恋しさを感じずにはいられなかった。
 
笑いが込み上げてきた。
イブにこんなところでチケットを買う早坂さん。

彼女が悪い男にたぶらかされていると思い込み、店を飛び出してきた私。
 
最初は小さく笑っていたのに、次第に大きくなっていき、最後には大声を上げ膝を叩きながら大爆笑をした。

なんてムードの無い、なんて最低なクリスマスなんだ。

頭の中の陣八も笑っている。腹を抱えて。
おかしくておかしくて、堪らなかった。

早坂さんはまだ恥ずかしそうに視線をそらしていた。
ユキヤは、彰文が壊れた、と驚いている。

周囲には多くの人がいて、この突然の騒動を見つめていた。
ホテルの従業員、カフェの客、みんなが私達を見ている。

こんな可愛らしい、そして小憎たらしい彼女を、誰にも見せたくなかった。
私だけの物にしてしまいたい。

「――逃げますよ」
 
立ち上がった私は、早坂さんの手を握って再び走り出す。

え、と躊躇する彼女を無理やり引っ張って。

後ろからユキヤの制止の声がかかるが、遠野は急には止まれないのだ。

 
野次馬を掻き分けてホテルを出る。
外は薄暗くなっていて、きらびやかなイルミネーションが私たちを飾る。

クリスマス一色の街並みを、冷たく小さい彼女の手を取って走った。
 
夢のようなシチュエーション。私が望むドラマがそこにはあった。
 

陣八は、そんな私に告げた。

『彰文。お主は最高の男だ。
短い間であったが、お主に憑けて良かった。
私はもう、消えなければなるまい』
 

いきなりの陣八の言葉にいささか私は驚いた。
しかし最近、そんなような気はしていたのだ。

「憑いたのも突然だったが、消えるのもずいぶん突然だな」

『ああ、最近拙者の夢をよく見るであろう?
拙者と同調してきている証だ。
 このままずっとお主に憑いていれば、きっとお主を乗っ取ってしまう。だから消えよう』

「そんな簡単に消えれるものなのか?」

『分からん。だが、最後に、拙者の願いを一つだけ聞いてくれないか。
きっとそれが叶えば、拙者は満足して逝けると思う』
 
陣八の願い、叶えられるものなら叶えてあげようではないか。
私は頷く。

「遠野さん、ちょっと、疲れました、止まってください」

引っ張る形になっていた早坂さんが、息も切れ切れにそう言ったので、私は立ち止まって彼女の手を放す。

胸を押さえたまま、彼女は深呼吸した。

夢中で走っていたので気がつかなかったが、そこはショッピングモールの中心の広場で、横では全長五メートルはありそうな巨大ツリーが輝いている、ロマンチックな場所であった。

「すみません、こんなとこまで走ってきちゃって」

「いえ。遠野さんこそ、私があのホテルにいるってよく分かりましたね?」

「貴女のことならなんでもわかるんです」
 
そう言って微笑むと、早坂さんはそっぽを向いた。
頬が紅いのは、走ってきたからだけじゃないだろう。

「…遠野さん、呆れてませんか?」

「なぜ?」

「あんなにもうシン様はいいとか言ったのに、結局チケット買うのかって」

ポスターを剥がしたところを見られた手前、私には知られたくなかったのだろう。彼女は少し拗ねたように口を尖らせた。

「ええ、実は少し。でも貴女らしいと思います。
それより昨日のことで、早坂さんこそ怒ってませんか?」
 
巨大なツリーのライトがカラフルに点滅して、早坂さんを虹色に染める。

「そりゃあ……怒っていますよ。でも私も突き飛ばしちゃったし…」

彼女は眉毛を下げて、面目なさそうに呟いた。

「そうだ。これ、お詫びを兼ねて作ってきたんです。
後でレストランに持って行こうと思ったんですけど」
 
そう言って彼女は、片手に持っていた鞄の中から四角い箱を取り出して、私に手渡してきた。
 
驚いた私は、両手でそれを受け取りながら、開けていいんですかと尋ねる。
はい、と言われたので、そっとそのふたを開けた。

箱はどうやらお弁当箱だったようだ。
 
大きな正方形の弁当箱を開けると、中にはオムライスが入っていた。
ケチャップで上に「メリークリスマス」と書かれている。
 
私は思い出した。
 
彼女の家でパスタをご馳走になったとき、次はオムライスを食べさせてください、と言ったことを。

そんな些細な言葉を、覚えていてくれたのだ。

「何度も練習したんで、おいしいと思いますよ。
クリスマスおめでとうございます、遠野さん」
 

そう言って彼女は鮮やかに笑った。

早坂さん、貴女って人は。
 
貴女って人は、どうしてこれほどまでに私の心の琴線に触れてくるのか。
 
私を眠れないほど悩ませるのも、私を言葉が出ないほど喜ばせるのも、貴女以外にこの世には存在しない。
その柔らかくておいしそうなオムライスを前に誓う。愛しさに震えた。

貴女以外にはいない、私の愛しい人。

『彰文、拙者の最後の願いだ』
 
陣八が言った。

『彼女と、口付けがしたい』
 

傍若無人な侍の霊と、初めて意見が合った瞬間だった。

私の目は陣八の目。私の耳は陣八の耳。私達は五感を共有している。
ならば、私の望みは陣八の望みなのだろうか。
 
私は思う。
 
喜んで、その願いを叶えよう。
 
私は少しかがんで、そっと彼女に口付けた。

唇が触れるだけの、軽い幼稚なキス。

しかし、脳が痺れるほどに、甘い。

そして案の定、目の前にきらびやかな星が飛んだ。

 
再び彼女にぶん殴られた私は、美しい弧を描いてショッピングモールの床に倒れこんだ。

あれ、これはデジャブか?
同じことを昨日もしたのだが。
倒れる瞬間に弁当箱は支えていたため、オムライスは無事だった。私の執念だ。
 
見上げると、早坂さんは昨日と同じく、拳を握って立っていた。

「と、遠野さん、あなたって人は…!」
 
肩で息をしながら、信じられないものを見るように彼女は言った。耳まで真っ赤である。

「――帰ります!」
 
そう言い放って、彼女は踵を返す。憤慨しながら、足取り速く去っていった。

私は笑いが止まらなかった。
陣八も、最後に笑ったように思えた。
 

ちかちかと光るツリーの向こうの星空を見上げると、その時確かに、陣八が頭の中から消えていくのを感じた。
 
どういう原理なのかは分からないし、説明もできず根拠もないのだが、話しかけてもあの態度のでかい武士は返事をしないのだということだけは分かった。

もういない幽霊に話しかける。

お前が最後に感じたのは、早坂さんとのキスじゃなくてビンタの痛みだっただろ。
 
ざまあみろ。成仏しろよ。
私はツリーのてっぺんの星を眺めて思った。
 
埃を叩いて立ち上がると頬が痛んだ。
いいパンチを持っているではないか。
逃げるように去っていく、その小さな背中を追いかける。

前と何も変わらない、その背中を愛しいと思う気持ちが自然とあふれてくる。

今やっとわかった。
この想いはやっぱり陣八のものなんかじゃない。
実はほんの少しだけ、まがい物ではないのかという心配があったのだ。

しかし、愛しさは少しも変わらない。
私の、私だけによる、彼女への恋情。
 
気がつけて良かった。

「待ってください早坂さん。私はあなたを愛しています」

「聞こえません! 知りません! ついてこないでください!」

「いやです、貴女の心を手に入れるためなら地獄の果てまでついていきます」
 
そう言うと彼女は振り返り、私を涙目で睨んできた。
 
「遠野さんならやりかねないですね……」

と呟いた彼女に、よく分かっているではないですか、と返す。
赤く染まった頬を優しく撫でたら、恥ずかしそうに彼女は視線を逸らした。

12月24日。聖なる夜。
怒った顔も可愛らしいと思ってしまう私は、もう相当末期なようだ。
罪深いとは分かっていても、今は、貴女が欲しくて堪らない。


* * *

 陣八に言われたとおり机の引き出しを開けると、「彰文へ」と書かれた手紙が入っていた。

「彰文へ

 突然憑依したりしてすまなかった。
 お主には大変な思いをさせたであろう。この場を借りて侘びておく。

 拙者は戦で死に、残してきた妻のことが心配で自縛霊となった。
 あの銀杏の木の下で、成仏もできぬまま彷徨っていた時間は、まるで永遠のように感じる、苦痛な時間だった。

 本当のことを言うと、私はお前を乗っ取るつもりであった。
 長い間憑依し、時間をかけてお主自身になろうと思った。
そうして新しく現世で人生をやり直そうと思ったのだ。

軽蔑してくれて構わない。
 しかし日を重ねるにつれ、お主の、遠野彰文自身の人生を見てみたくなったのだ。

 お主の体に憑依してからは、苦しかった時間も忘れるほどの、鮮やかな日々であった。
 お主の目から見る世界は美しく、お主の耳から聞こえる音は心地よかった。
もう死んだ拙者に心があるかは分からないが、心が躍るようなことばかりの毎日だったよ。

お主はひねくれ者だが、欲望のままに生きることに関しては天下一品だ。
後悔しないように生きるのだぞ。人生は一度きりだ。

お主の、彼女を思う気持ちが、忘れていた拙者の気落ちを思い出させた。
もう会えるか分からないが、拙者もさくらに会いたくなったよ。

この前は意地悪を言ってすまなかった。
お主の彼女への気持ちは、拙者のつけ入る隙などないぐらい、確かなものだよ。

お主の欲望も感情も、とても真っ直ぐだ。
お主は御免だと言っていたが、お主と同じ時に喜び、悲しみ、ときめくことができて本当によかった。

礼を言う、遠野彰文。
短い時間ではあったが、楽しかったぞ。
メリークリスマス。
暴走しがちの紳士に幸あれ。  氏原陣八」


 筆ペンで実に達筆に書かれたその手紙を読む。
 最後のメリークリスマスのカタカナの部分だけは見様見真似で書いたのか、やたら汚い字だった。
 
 陣八が書いたということは、気づかぬうちに私が書いていたということなのだろう。
 寝ている間だろうか。熟睡している私が、机に向かって手紙を書いている図は、なんだか笑える。
 
 夢の中で見た、銀杏の木の下で寄り添いあう二人、さくらと陣八が思い出される。
 
 私はその手紙を大切に机の引き出しにしまった。


 鏡を見たら、陣八が消えたことでぼさぼさ髪ではなくなり、栗色のショートパーマに戻った。
 その髪を整え、仕事場へと向かう。

*      *        *


 これは、どう頑張っても短所を見つけることのできない完璧な男、遠野彰文が、早坂奈々さんと恋という引力に引き寄せられて出会い、いちゃいちゃラブラブでちょっとエッチなクリスマスを過ごしたいという野心を持ったことによって起こった話だ。


 次の日、顔中の血管を浮き上がらせたオーナーに殺されかける羽目になるが、気の良いチーフに止めてもらったのと、すべてのプライドをかなぐり捨てて土下座をしたのが功を奏して、一年で一番忙しいクリスマスに飛んだのに、なんとかクビにならずに済んだ。


 しかしオーナーにはますますコキ使わされるし、実は腹黒いチーフには「貸しができたね」と微笑まれて血の気が引いた。
 

 家族全員から嫌われ、結局彼女にも振られ、修行を抜け出したことも爺ちゃんにばれて、と散々だったヨシは、夜通し「正座で念仏」の刑に処せられていた。


 そしたら今朝、いきなり金髪のサラサラヘアーになったヨシが大声で、「なんか頭の中で外人の声がする!」と叫びだしたのだ。

 他の奴らはついに気が触れたのかと言っていたが、私は分かった。

 ああこれ、憑かれる条件を満たしている。
 いったいこの寺、何人の自縛霊の住処になっているんだ?

 両頬ともに湿布を貼って仕事にいそしむ真面目で勤勉な私に、早坂さんが先ほど話しかけてきた。

 後でユキヤから結局買ったらしい、シン様のチケットを二枚取り出して、一緒に行きませんか、と言ってきたのである。
 
 まだちょっと怒っているようだったが、照れ隠しに見える。
 
 私はやっぱり、この人から離れられない運命にあるようだ。
  

 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗の私の悩みは家が寺で女運が無いこと。
しかし後者は、私の有り余るほどの魅力で、最近運も上昇中。
 
 とりあえず、熱愛が発覚した人気俳優兼アイドルを恋のライバルと思いながら、二月のバレンタインデーまでには彼女とラブラブになってみせる!
 そう意気込むのだった。

 とにもかくにも、メリークリスマス。
  世界中の方々に、今の私のような幸せが訪れますように。

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