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出会い

HIKAKIN氏は私にとって所謂「推し」のひとりである。

2020年2月、その感情はじんわりとやってきた。


「ヒカキンってイイ男だなぁ」


当時の私は気分の浮き沈みが激しく、食事をしても味がしない日やお笑い番組を見ても全く笑えない日、些細なことでイライラして家族に当たってしまう日、毎日のように聴いていた大好きなアーティストの歌や声を受けつけない日もあった。

夜を過ごすのが苦痛だった日

明日が来るのが嫌で嫌で堪らなかった日

とんでもないことを考える日もあった。

だが、周りには気付かれないよう日中をなるべく普通に過ごしTwitterで現実逃避をし夜になると不安で押し潰されそうになる日をギリギリで乗り越えていた。
そんな精神状態のなか、甥っ子と過ごす時間が私の唯一の癒しだった。心が安らぐ時間だった。もちろん今でもそうだ。

甥っ子はYouTubeで「Minecraft(マインクラフト)」(略称マイクラ)というゲームの実況を見るのに嵌まっていた。中でもHIKAKIN氏のチャンネル「HikakinGames」に投稿されていた通称「ヒカクラ」をいつも目を輝かせて見ていた。

甥っ子が遊びに来ると私は彼の座椅子に徹し暖かなぬくもりに癒やされながら丸くて可愛い頭越しに彼が選んだ動画をただただ眺めていた。

ただただ何の感情もなく眺めていた動画の中で「ファミリーマート」を造る作業をしている回には興味を覚えた。
もともとミニチュアやジオラマなどを見るのが好きだったのもあり、ゲームの中で店舗や看板、駐車場が出来ていく様子は少しだけワクワクした。

あるとき作り方を説明しながら作業を進めている画面左下の実況者が突然口から音を出した。ビートボックスだ。

その瞬間私の脳裏に十数年前の記憶が蘇った。

(この人…昔マリオのビートボックスで話題になった人だ…懐かしい…今こんなことしてるんだ…)

今までただ眺めていたゲーム実況者を「HIKAKIN」と認識した瞬間だった。


私はひとりの時にもヒカクラを見るようになった。大きな家や周りの建造物、この「ヒカクラ」という世界がどんなふうに出来ていったのか知りたくなった。

「ブタさん、こんにちは」
「村人さん、一緒に夕日を見よう」
「うさちゃん、かわいいね」

耳心地の良いBGMが流れるヒカクラの世界は平和だった。この世界に住みたいと思った。

そして

HIKAKINはいつ見ても一生懸命だった。

HIKAKINはいつ見ても楽しそうだった。

HIKAKINはいつ見ても笑っていた。

どうなるか分からない状況に陥っても「これも経験!」という言葉を口に出し失敗を恐れず突き進んでいく。取り返しのつかない状況に陥っても「ここは大丈夫だった」「勉強になった」と驚くほどにポジティブ思考だった。

一生懸命時間を費やし積み重ねてきたものが一瞬にして砕け散ろうとも、ピンチになり震えながら必死に戦いそれに敗れても、悔しがり嘆きもするがHIKAKINは最後にはやっぱり笑っていた。

ヒカキンってイイ男だなぁ。

こんな人になりたいなぁ。

もう少し頑張ってみようかなぁ。

寝る前に見るヒカクラが一日の楽しみになるのにそう時間は掛からなかった。

夜が来るのが待ち遠しくなった。

明日もまた見たいと思うようになった。

生きる活力を与えてくれた。

私に明日を見せてくれたHIKAKIN氏には感謝の気持ちでいっぱいだ。
HIKAKIN氏のファンになって2年が過ぎた。
彼は今も私に元気を与え日々の感謝を教え「明日も頑張ろう」というパワーを届けてくれている。

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