泣きたいだけ泣いていいよ、と思えるまでー新生児のお世話
ついに生まれたてほやほやの娘と一緒に実家に帰ってきたー。
出産という難事業をぼろぼろになりながら終え、(詳細はこちら)
退院するまでみっちり赤ちゃんのお世話を学習し、(詳細はこちら)
長い道のりをへて私は1ヶ月間産後サポートをしてもらう実家の門の前に到着した。
不安だったけれど、なんとかここまで来れたんだ。
さあこれからも頑張るぞ!と息巻く私に、試練は襲いかかった。
ひとりの人間を育てるということが、そんな平坦な道のりになるわけはなかったのである。
娘が泣き止まない
入院中は割りと寝てくれていた娘。
これはいったいどうしたことか。
こんなに泣き止まないなんて。
おむつを換えて授乳をしたら、私が産院で習ったお世話スキルは終了なのに、それでもまだ泣いているのだ。
携帯のキーを必死でたたく。
「赤ちゃん 泣き止まない」
でてくる検索結果をくいいるようにみつめた。
レジ袋をがしゃがしゃしたり、
ドライヤーを鳴らしたり。
そして抱っこだ。
とにかく抱っこしてゆらゆら揺れる。
泣き声がやむまで。
けれどこれがなかなか泣き止まない。
5分、10分、30分…
こんなにずっと抱っこしないといけないとは。
それに、さっきからずっと泣き声を聞いている。
この泣き声を聞くと、胸がざわざわする。早くなんとかしてよと急かされている気になる。そなこと言われたって。私だってどうしたらいいか分からない。黒いものがせりあがってくる。
気づけばベビー布団の前に手をついて、私も泣きじゃくっていた。
私を支えてくれたものーソーシャルサポート
それまで奮闘する私を静観していたばあばに、私は打ち明けた。
“ぜったいやらないけどさ。
娘の口を塞ぐところを想像しちゃうんだよね。”
それを聞いたばあばは、私を一人で寝かせてくれた。
あの時、正直な気持ちを、未熟でどろどろな私を周りの人に打ち明けることができて、本当によかったと思う。
最近読んだ本に、こんなことが書かれていた。
<トラウマ体験=コントロール感覚の喪失>
本書で述べる「コントロール感覚」を簡単に定義しておくと、「自分が自分の人生をある程度コントロールできている」という感覚のことである。
(中略)
トラウマ体験は、それまでの日常からの離断の体験である。それまで当然のものとしてあった自己・他者・世界への信頼が突然失われ、自分が歩んできた人生の道のりから突然突き落とされるような体験であるとも言える。(中略)突然、足元が地割れして突き落とされた、というような体験をしてしまったわけであるから、落とされた衝撃に混乱もしているし、「どっちに向かって、どのように歩いていったらよいか、わからない」ということになってしまう。
ー「トラウマの現実に向き合う ジャッジメントを手放すということ」水島広子著
おおう。
書いてあることが、びっくりするくらい当時の心情に当てはまる。
親になる前は、自分がしたいなと思ったタイミングでしたいことを行動に移せてきた。
それが、親になったとたん、急に泣いている娘の側にいなくてはいけなくなった。もう、自分のタイミングでは動けない。それどころかいつ泣き止むのかもわからない。私が泣き止ませられるかも分からない。そういう暗闇のなかにいる気持ちだ。
私はトラウマ体験をしていたのだ。
本では続けて、消失したコントロール感覚を回復させる方法について、こうかかれている。
<役割の変化>
そこで、「コントロール感覚の回復」とは何を意味するのかを考える指針として、対人関係療法における治療焦点の一つである「役割の変化」について見ていきたい。
(中略)
「役割の変化」とは、何であれ生活上の変化への適応がうまくいかずに病気につながるときに選ばれる問題領域であるが、トラウマ体験は、まさに重要な「役割の変化」である。
「役割の変化」そのものは異常なことではなく、実際に私たちは人生において多くの「役割の変化」を体験する。
(中略)
特にソーシャルサポートは重要である。感情のコントロールが難しくても、それを身近な人たちが受け入れてくれれば、だんだんと適応していくことができる。
ー「トラウマの現実に向き合う ジャッジメントを手放すということ」水島広子著
ソーシャルサポートは大切。
そう、本当に大切だった。
ありのままの気持ちをばあばに話して受け入れてもらえた。
家にいる夫に泣きながら電話して、次の休日に夫が実家に来て夜泣き対応に付き合ってくれた。
そうやって周囲に受け入れられた安心感で、心の平穏が少し保たれた。心の平穏は冷静さを連れてきてくれた。
なぜか泣き止むばあばの抱っこの仕方を、見よう見まねでマネしたりした。
娘が泣いたら反射で慌てて抱っこを始めるんではなくて、トイレや水分補給を補給して身体の調子を整えて、しばらくは自分のことはできなくてもいい気持ちにしてから抱っこを始めるようにした。
だらだら続く娘のお世話に隙間をつくって気分転換するやりかたも、少しずつ覚えていった。長い時間をかけて。
こうして私はトラウマを、本当のトラウマにせずにすんだのだった。
泣きたいよね、泣いていいよ
また娘が泣きはじめた。
生まれたての赤ちゃんはよく泣くものらしい。
加えて娘の声は大きいのだ。キーンと耳に響く。
それでも。
そうだよね。
急に暖かいお母さんのお腹の中から外に連れ出されて。
温度も一定でご飯だってへその尾から自動供給されてた。
それがいまや、暑くなったり寒くなったりするし、聞いたことがない音だってするし。暗くなったり明るくなったりするし。
びっくりするよね。
私は声に出してみた。
“そうだよね、やんなっちゃうよね。”
“なんかヤな感じなんだよね”
“泣いていいよ、好きなだけなけばいいよ”
声に出してみると、なんだか娘と私の間に、今まで意識しなかった「つながり」を感じる気がした。
私は側にいるからね。
それは暗い時間を経たからこそ。
はじめての赤ちゃんのお世話という衝撃。それまでの日常からの離断を受け止めた時間があって。それを周囲のみんなが暖かく支えてくれたから。私を一人にしなかったから。
私は娘にそう語りかけられるまでになったのだ。
こうしてまた一歩、周囲に支えられながら、新米ママはたくましくなっていく。