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外資金融で働いていたはなし③:リーマン・ブラザーズ証券債券営業本部

こんばんは

今日も一日お疲れ様です。

さて、先日の続きを・・・・

2006年2月。リーマン・ブラザーズ証券の情報システム部Adminの派遣社員から債券営業本部の契約社員のアシスタントとして働き始めたわけです。情報システム部とは全くもって雰囲気が違っており(ディーリングのフロアですから当然です)本当にカルチャーショックでした。

BT Phone(トレーディングフロアで使用している電話)の使い方も慣れず、何よりパーテーションに分かれてなくてベンチ机に皆並んでモニターが何枚もあって、場中はけっこう大声で叫んでるし・・・デスクに座ってるだけで疲れてしまうかんじでした😅

当初は円債セールス・外債セールス(顧客は中央金法:地銀以外の日本の金融機関)のアドミ担当のアシスタント業務のみをやっていましたが(出張手配やら経費精算やらミーティングアレンジやら)同僚にイチから教えて貰いながら徐々にセールスサポートの方もやらせて貰えるようになっていったわけです。そして、念願かなって正社員になったのでした。2007年5月のことでした。

その後、まず証券外務員2種を取得し、主にJGB( Japanese Government Bond=日本国債)のセールスサポートとして、トレードブッキングやプレコンの送付など本当に忙しかったし、活気があったし、今から思うと忙しくても楽しかったなと思う。

※プレコン:Pre Confirmation=取引報告書は翌日正式なものをOperationから送付ですが、約定直後に確認するためプレコンを送り、フロント同士で確認するもの)

フロント(株式部や債券部などの「稼ぐ」部署)は、活気溢れていたし、まぁいろんな意味で「強い」人が多かったので(アシスタントも強い人多かった・・・)最初はほんとに半べそかきそうになったことも多かったけど、慣れていくにつれ、自分もかなり強くはなったと思います(たぶん)

翌年2008年には証券外務員1種も取得し、順風満帆かなと思いきや・・・ベアスターンズが倒産したくらいから急に何となく不穏な空気が流れ(その前のパリバショックの頃から徐々にですが)・・・リーマンは株価の下落・身売りの噂などが絶えなくなりました。そのせいか、夏にはトレードも激減し、なんだか手持ち無沙汰の日々が続いていたと記憶しています。でも、リーマンほどの規模の会社を潰すと影響大きすぎるから潰さないだろう・・・きっとどこかに身売りされるんだろうな・・・と大方の社員は見ていたかと思います。

そして、9月に入り、いよいよけっこう会社が危機だとひしひしと感じる日々・・・私は外債メインのアシスタントが休暇のため外債のセールスサポートの方に入っていました。リーマン債の売りが多かったように思います。

そして、9月12日(金)「週明けには何ていう会社になってるんだろうね・・・」などと言いながら退社。

9月15日(月)日本は敬老の日で祝日

母から電話「あんたの会社、倒産したって。ニュース出てるよ」

つづく・・・

最後まで読んで頂きましてありがとうございました。

良かったら次回もよろしくお願いします!





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