外資金融で働いていたはなし②:リーマン・ブラザーズ証券情報システム部
こんにちは
先日から書き始めた「外資金融で働いてはなし」の続きを・・・
2003年3月よりリーマン・ブラザーズ証券の日本法人で派遣社員として働き始めた私。
情報システム部のアドミンチーム(総務部的なチーム)で、部署内のあれこれ総務的なことを担当することになったのですが、前任者が辞めてしまう為とにかく急ぎで人が欲しかったため、とりあえず英語がわかれば私のような金融未経験者でもOKだったようです。でも、契約は一週間更新でした。毎週、翌週には仕事がなくなるかも知れないという不安を抱えてしばらく仕事をしていたわけです。
それが、しばらくすると2週間更新になり・・・最後は半年更新となったわけでしたが・・・とにかく、金融の経験不問とはいえ、やはり金融関連の言葉は登場するわけで・・・EquityとかFixed Incomeという言葉さえも知らなかったので、苦労しました。それに前任者からの引継ぎは1日だけ、ワード1ページだけの簡単な引継ぎ書のみ(まぁ外資金融あるあるですが😎)部署は8割外国人・・外国人のうち8割がインド人(インド訛りはハードル高かった😅)で、英語も本当に苦労しました。(めちゃくちゃ鍛えられた!)
それでも、仲良しの同僚もでき、当時はリーマンは(GSも)赤坂のアークヒルズに入っていて、よく下のオーバカナルで軽く飲んだりしてました(オーバカナルの赤坂アークヒルズ店は何年か前に閉店してしまいましたよね・・・寂しいかぎり)。それまで足を踏み入れたことなかった六本木でも飲みに行ったりと・・・仕事にも慣れて半年過ぎたあたりから仕事もアフターファイブも楽しめるようになってきました。
記憶は定かではないのですが、2003年終わりか2004年初めには六本木ヒルズに移転が完了していたかと思います(昔のことなので記憶が曖昧ですが、私自身がアークヒルズでは1年も勤務してなかったように記憶してます)移転当初は話題の新しいビルで働くことができることに、本当にワクワクしていました。デスクも広々としており、低めのパーテーションの壁にはいろいろ飾ったりして自分の世界を作れたし、ちょうどデスクからは真正面に富士山が見え、30階からの眺めは最高でした。
仕事も慣れて概ね順風満帆に過ごせてましたし、派遣でも社員と同じように仕事を任されてしっかりと仕事ができてやりがいもありましたが・・・でも、(他業種よりか時給は高めとはいえ)派遣だったので、社員にして貰えないかなと願っていたわけですが、なかなかチャンスがありませんでした。そんなとき、丁度アドミンのチームのとあるポジションで社員募集するよと仲良かった社員のお姉さんが教えてくれたので、上司に話してみたのですが・・・それが引き金なのか何なのかわかりませんでしたが、派遣契約を更新したばかりなのに急に契約解除を言い渡されてしまったのです。。。。ショックのあまり派遣会社の担当者に泣きながら電話したのを覚えています。
ですが、どういう経緯なのかは不明ですが、会社側も(というか、採用等は会社単位ではなく部署単位で採用しているし、担当人事も別なので情報システム部担当人事と上司が動いたのかと思われます)マズいと思ったのか何なのか・・・債券部門の営業でアシスタントを契約社員で募集している話を持ってきてくれました。
そんなワケで、債券営業本部長とアシスタント3人とインタビュー(面接)して、めでたく債券営業本部のアシスタントとして契約社員として雇って貰うことができたのでした。2006年2月のことでした。
つづく
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
良かったらまた次回もよろしくお願いします!
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