外資金融で働いていたはなし①:スタートするまで
こんにちは
あっという間に6月ですね。。。
まだまだnoteを書くことに慣れないままですが・・・😅
5月末に有給消化し終えて正式に退職もしたので、ちょっとづつ、ゆるゆると書いていこうと思います。。。
まずは、自分の振り返りも兼ねて。。。全く金融で働くことなど考えてもいなかったし、ごくごく普通の私が、なんで外資系金融にたどり着いたのか・どんな仕事をしてきたのかというはなしを。
1995年。私は都内の箱根駅伝で有名な(私が学生時代は駅伝よりも野球部が強かったけど)中堅大学を卒業したものの・・・就職氷河期であったり、自身の能力や現実を見極められず、若さゆえに夢を見すぎていたので。。。
とにかく一般的なOLにはなりたくないとか、国際協力の仕事をするために海外の大学院に行きたいとか(自分の状況を考えずに)訳わかんないこと言って(今から考えれば、ほんと訳わかんない夢見る夢子ちゃんでした)卒業時には特に進路は決まっておらず、1年半くらいはフリーターでテレマーケティング会社で電話オペレーターをやってました。(私の人生どん底その1の時代)
その後、緩い時代?だったこともあり、特に職歴もないのに派遣社員として大手ゼネコンやN〇Tの本社などで派遣OLとして働くことができ、2年ほど働いた後、ほんとギリギリのお金を握りしめて、カナダへ語学留学へ行ったのでした。26歳でした。
まわりは結婚する人がチラホラ出てきたりしてましたが、そんなことには目もくれず、とにかく、海外で学びたい、その先に国際協力の、国際的な仕事がしたい、その一心で前に向かっていっていたような気がします。
資金がギリギリだったので、半年しか行けませんでしたが、その半年は本当に大きな人生を変える時間でした。あの半年がなければ今の私はなかったと心底思います。(カナダでの思い出は書くとキリがないので、また別の機会に)
とはいえ。
ちょこっと英語が話せるくらいの人は山ほどいるわけですし、大した職歴もない私は、帰国後の職探しも本当に苦労しました。
結局、派遣社員で働くしかなくて、2年ほど誰もが知ってる国内時計メーカーの海外事業部で働き、その後は外資系イベント会社で1年ほど働いたのち、たまたま派遣会社から紹介されて働き始めたのがリーマン・ブラザーズ証券で、そこから私の外資金融人生が始まったのでした。。。2003年でした。
・・・つづく
最後まで読んで頂きありがとうございました😊
引き続きよろしくお願いします🙇♀️
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