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私のおばあちゃん(和子)の話(2)夏の思い出と血の繋がり



「私の旦那?全員死んだよガハハハ」
と威勢良く、万年喫煙と飲酒人生だった77歳
(前の話75と間違えてました。
熱海の話思い出してたら、
「私、なな なな〜ゲラゲラゲホゲホ」と行っていたのを思い出しました。
すみません)の祖母はカスカスの声で話す。

ちなみに恋愛は知らんが、3度結婚して2度離婚している。

3人目のおじいちゃんは、「よっちゃん」と呼んでいて、
胃がんに苦しめられ、手術抗がん剤と懸命に治療を受けた末、完治したものの、運悪くというか、なんというか、肝臓に新しいガンガ見つかり、
肝臓のがんって悪質で、弱っていた体をどんどんついばみ、最後は看護師である母の友達のリエゾン(緩和系のお薬やメンタルに寄り添ってくれる専門看護師
)の方にもお世話になりまして。

ひいばあちゃんと同じく、ショートステイなど行きたがらなかった
((こう見ると私の家系、自我が強すぎるな、、どこにも嵌まろうという気すら持てない))
ため、家で徘徊などもして大変でしたが、看取りました。

最後は、和子に「卵焼きが食べたい」
といって、食べさせたみたいなのですが
食べながら死んでしまったよっちゃんに、親族は密かに
「和子の作った卵焼きが喉に詰まったんじゃない。。。」とそんなこと言っとります。

よっちゃんからしたら本望だったでしょう。
よっちゃんとの思い出はたくさんあります。

おじいちゃんにしては誰ともあの気を使うところとか礼儀正しいところが似ていないなあと子供ながらに思っていた私は、小学生ごろ、父や父の妹のチイちゃんとちが繋がっていないことを知りました。

私や弟、チイちゃんの娘二人を孫のように(関係性的には孫だが)可愛がり、夏にはよく海に行きました。

土木をしていたよっちゃんは体が締まっていて、弱ったよっちゃんに私はそんなに会えず(大学の単位がやばすぎて大学にこもりっぱなしだった)無くなってしまって、後悔が残りますが、多分やせ細っていたのだと思います。

地頭がばかなのに、無理して大学に入った私と、私に容赦なく補修人生を送らせた大学(自分が悪い)を恨みます。

勝手にその海の話を振り返ると、まあ荒い遊ばせ方だった恐ろしいという記憶が蘇ってきます。多分和子の遺伝子がよっちゃんにも伝わってしまったのでしょう。

海には堤防があって、堤防の岩は荒く、転んだりでもしたら皮膚が持っていかれるところでした。
浮き輪はデカイものが一つ。
子供は私の弟は年子で、まだ小学校に上がっていないくらい。いとこのチイちゃん家の子供も、5歳ほどしか離れていないので、そんなに大きくはありませんでした。

「よし。こっからジャンプしよう」というよっちゃんと和子。

今の時代であれば止められ、虐待よばわり。まあ安全のためには止めた方がいいか。わんちゃん死んでたし。

「度胸だよ。女も男も!えいっ」と海に放り投げられ、
浮き輪の方へ飛び込ませられる。
まだ泳げない弟を浮き輪につかませ、登ることのできない堤防を必死に登る。

案外そんなことで泳ぐ力を身につけていったのかもしれません。
恐ろしい遊びでしたがそんな普通の子供が体験しないことや、荒治療(?)後に食べる知り合いの海の家での醤油ラーメン。

岩のところでは、「カニの手」と呼んでいた恐ろしい形をした貝?をビールびんの蓋でとって、味噌汁にしてもらったものでした。

小学校では誰もこんなこと知らないんだろうなと日に焼けすぎた私は自慢げでした。
よっちゃんあの夏をありがとうね。

よっちゃんは、私の父と母の地獄のような両家顔合わせを取り持ってくれた頼りになる男でもありました。なぜ地獄になったかは、また。まあ性格が真反対の父方の和子と母方の三枝は。「混ぜるな危険」を通り越して、「近づけるな爆発」。
お互いがお互いに対してまともだと思っていないおばあちゃま達。長生きするんだろうな。

和子と、雄一(父)とチイちゃんの話。
次回
「最初の旦那はいい人だったけど私(和子)にとっては地獄だった話。」
結婚とか、価値観って難しいけど、無理に合わせるのも
お金の安定を選ぶのも、全部自分なんだなって。

和子は自分の人生を自分のために選ぶ女。



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