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私が文章を書くと思うこと


私が文章を書く理由。

好きなものほど意味付けしたくないて言葉ありますよね。
好きなものという大切なものの理由などペラペラと聞きたいの?聞いてくれるのならば話すはなすスタンスの私。けれど話さない大事にするという形もあるのかなとも思ったり、あくまで見せ方として、特別感として存在するのかななんて考えるようになりました。

この歳になると、話さない方が正しい話、話さない礼儀など人と人とがぶつかり合わないように分かりあわないようにそんなこと柄が多くなります。

こんな理由を述べるか述べないかでふわっと思い出した話があって
「優しい」ひとには種類があるみたいで、

どこかで耳にした、「優しい人」の話が私のこれまでの人生の(もっとう)の中で刺さり、フーッと腑に落ちたので、(ダジャレじゃないよ)
ひとりごとしたいと思います。

私は小さい頃からプライドの高い奴が気に食わなかった。
マセガキだった私は、プライドの高い教師やお高いところの子どもではなく、その親が大嫌いでした。

何を偉そうに何も私の人生も生活もお前らが考えている以上に感じて考えて行動している7才をなめるなよと睨みつける女児であったわたしは
まんまと教師からいじめを受けた。

その話は後々するとして、
その教師を今の時代のように法的に攻めたり、
今後生きていけないようにSNSで晒しあげたりなんてしない自分の話だからだ。

娘や彼女や家族の話になったら理性は聞くかわからないが。

優しさは2種類存在する。
わたしのようにプライドが織りなす知識や経験の少ないものへのはったり、自慢からの意味のないいじめの経験や、そこから始まる思想の積み重ねによって、プライドなんてクソだと思っている人間。

プライドを捨てた人間は、舐められます。
わからないことを「わからないです」
知りたいことを「知りたいです」
そんな積み重ねが、年齢相応にならなければ
何を言われても、私知らなかったんだなと怒りを知る前に自分を責める人間の出来上がり。

そんな人が私の周りにいるのであれば
昔であったら仲間意識や自分が助けるという気でいました。

いまは、「これが大人か」というまでに
そこまで手を差し伸べることは不可能ちかい
考え方へ成り下がりました。

事実であるから。

そうであればどうしたらいいか。
私の中の今までたったの25何生きた私がなにをいまおもうか、教える伝えるがまだです。

泣きたいほど救いたい昔の私。
私のような人。

プライドは持つべきだったのです。芯があるとしても
繕いのないあなたはまた、あの時の小学生のように、
社会人の卵の孵化したばかりのガードのないあなたは、私は袋叩きにどれだけ人懐っこくてもなります。

あなたのガードになってくれる人も、同じフィールドに立つ人間であるからです。

家族がいます。守るべきものがあります。
あなたにもそんなものができるのです。

ではいい優しさはなんでしょう。
わたしは舐められる=優しさと変換したのでしょう。
それはそれで前述の切なさが嘘になるような甘えである。

だが、そんなようなことだ。
純粋で信じているあなたには辛いことであるが、そんなことであるのだ。

守るものを嘘でも作ろう。
自分を大切にできないあなたも、人の幸せが自分の幸せである、そこのあなたも、自分のこれは譲れないんだそらが人のためでもいいんじゃない。

怒れる、誇れる何かを持ってみよう、持っているふりをしてみよう。

それが変化しても、それがあなたの尊敬できる優しさになるのだ。

私はまだ見つけている最中であるし、それが恋人だとすれば、未だいつ崩れるかわからないようなものだから、まだ見つかっていないことにしよう。

これが崩れればまたいつかどうかなるこれは伝えられないことだ。プレッシャーだ。命綱だからだ。

自然が織りなす木の形に、葉の生え方に、葉に光が入りやすいようにだとか、なんらかの原因が存在するとしても、
「あれ綺麗だね、なんであんな形しているんだろうね」
と好きな人に言われれば、
「綺麗だね、なんでだろうね」
と答えたいじゃないですか。
美味しいそばは初めはそのままつゆにつけずに口に入れてみたいし、とれたての果物はジャムにしない。
でもなんとなく今思っていることを描きたくなった。

この優しさや、理由を答えたい、答えたくないの話はおしまい。
下書きを今いじりだから私は酔っている。

久々に赤ラベルのラガーを好きな店でいただいた。美味しかった。なのに恋人と険悪なムードで電車に乗っている。難しいなあ、人生って
そんなものだよなあ。


現在私は、仕事を休んでいる。傷病手当をもらっている。それには理由がある。理由づけするという意味ではなくて以前の私はそうであったが理由が、ある。

でも、この状態になる前の私にはわからなかった。辛いことなど生きていればあるじゃないか、それでも生きているではないか、泣いていて飯は食えるのか、私自身に刺々しかった言葉を、誰かに口に出しはしなくとも思っていたかと思うと恐ろしくてたまらない。
人の心に寄り添うことに長けていると思っていた私。案外経験値は足りなさすぎんのよ。それ以上の闇や、起き上がれなくなるあの感覚は大人になればなるほど足音を立てずに近づく。私にはわからないが沢山のあった。今もあるのだろう。

だから、わかりから前にわかった時には土に帰るのがまた、人間と成り上がった生物なのかもしれない。


多分そんなことだから、私は、あの春の飲み会で
理論詰めされて当然だったのかもしれない。
何もわからない私は、あいつに怒鳴られ、関わらないようにしていたのに事故のように痛みつけられたと今でも思っているが、
泣きながら中目黒からタクシーで横浜まで帰ったあの春、私はなにかが足りなかったのかもしれない。
避けたりなかった。

あの時のタクシーの運転手には感謝している女性の方だった。
なんか、自分の中でも一歩手前であった色んなことを知らない人だからと、投げかけた。
わんわんなく私に、その女性は「大丈夫だから」と
何度も優しい声で言ってくれたのも、
何かあったら連絡しなさいと名刺に自分の電話番号をくれたのも
母親よりも優しいハグをくれたのも死ぬまで忘れないのだろう。

文章をこう書くことでいろんな過去が洗いざらい意味をなすのも、人生ってこんなにいろんなことが起きるものなのかも、これ以上の人がいるのかも、恐ろしくて悍ましくて今の酔っている私にはたまらない。

理由、知りたいの?
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文章を書くことは小さな頃から好きだった。
自分の思うがまま、日本という国では全国共通の文字で書き走らせる。文章はどこまでも走る、歩く、這いずる、泳ぐ。空を飛ぶ。

そんなどこまでも飛んで行ってしまう文章に、私に自由をくれる文章に対する敬意として嘘はつきたくないということは約束している。

書きたいものを隠し、書きたくないものは書かない。

noteを見ていると、誰かのために、目立つために書きたいわけではないと、どこかに憧れ、葛藤し、思う自分の中の渦を書いているのを目にする。

私も思っているよとひっそりと思っていいねを押す。大概、心ないいいねは欲しくないなど書いているが心はあるし、そういう人ほどちょんちょんと触りたくなる人間が私だ。

何も信用のなくなった世界が広がるこの世に、すがったりしたくなるものはあるか。私はそれさえ信じるという自分の故意的行為に飽き飽きしたり、すがる事すら許してくれない媒体や自分自身に嫌気がさした。

しかし、こんなこと書いていると、なんかどうでもよくなったり、なんとなく家族や友達のことを思い出したり、またこれまた人よがりに読んでくれる人のことを考えたりするのだ。

私も、多分自分を強く持っていたり、経験値の高かったり、ヒットは違う道を大回りして知らない景色を見ている人。まっすぐしか生きることのできなかったひと。それを望んだ人。それしか許されなかった人。いろんな人が見てくれているのかなと思うが、そんな人生一つ一つが羨ましく思うほどに自分は自信がなく、隣の芝ばかり見て行きてきた。

その行為が自分を成長させたと思うし、けれど、自分を愛せない癖は思う以上に生きづらい体を作り上げ、
百年近く生きる体には生きることのできる、可能とされる人間を生きるのには、生きやすい体を自分の芝を可愛がれることが、一番必要であることも最近気が付いたのだった。

私はたまに文章でガサツな両親に育てられましたなんて話をする。
私の両親はそんなこ思っていないし彼らなりに一生懸命に育てもらったと感謝している。
だからこそこんな、あなたが望んでなくてもじぶんでは面白がれるプロドゥースできる私ができたよ。

私自身育ててきた。母が「あなたは勝手に他の栄養を吸って生きてきたよね」というように。
結構身勝手に育ってきたししたいことはこっそりなんでもやってきた。

ただ、両親は両親で自分の人生を生きてきた家だから、この歳になってそんなの当たり前だと気づくのだけれど、その中でも、面倒を人よりかけたり、面倒を人より起こす、考えすぎな脳みそに育つまでには刺激が強すぎたり、作がなさすぎる両親と、壁が厚すぎる祖母との教育方針に自分の確率しない小ぞは二つの顔を持つように育ったのだと思っている。

その二つの顔は自分が崩れるまで完璧に25歳まで機能し続けた。
そして人の顔色をうかがったり、人より人の気持ちを想像することに誰も望まなくとも長けてしまった。

そんな私には看護師の仕事は向いていないようで向いていて、したいことなんだと思う。
私のようにこんな好きだったのに現場に出て、今はリアリティーショックなんて呼ばれるけれどその現実に打ちのめされそうになったら、私のところにくればいいと言えるような現場を作ることが夢の一つでもある。

こうやって何かに向かってひたむきに頑張り続けることには、綺麗な理由だけではない語れないような、幼稚で汚くて、「何だったっけ。それだけ?」という理由も存在する。
そいつはこっそり私の誰にも渡したくない部分を文章を読み、ふーんなんて発していそうで、それを行っていることだけを想像するだけで、私は大事で穏やかな何かを大きく揺さぶられ、波が起きることが吐きそうになる。

母親には苦労を今でもかけていると思う。
いい顔をして育った可愛らしい娘に執着し、何かを任せ、また何かを欲しがり、面倒な時には自分でなんとかしようと面倒をかけない娘に依存するのだと自負している。

母親の過去にも、父親の過去にも同乗し、だから私があるのかと思うのも納得したくはない納得いく。
文章を書いていること自体、知っている母は、私の友達の親が愛読する私の文章を読みたいと話していたけれど、彼女の話、家族の話、目の前にいるのに話したことのない話ばかりで、母もどこかで避けて生きてきたことに向き王のが怖くて逃げてきた大事なことを避ける癖はあの歳になると抜けないのだろう。

いいやと一言。

私はでもなんとなくだけれど、書くことををやめることはできないと思う。

どこかで心底嫌いなあなたにも、振り回された元カノにも、泣かされた昔の彼の父親にも、もちろん両親にも。

避けるのだろう。読みながら現実から目をそらすのだろう。
ここに私は、本当に見てこなかっただからこそ怖い私はここにいる。

わからなくても、わかってくれなくてもいい。
だってこれは物書きの人ならわかる感情だけれども誰にも渡したくないし評価されたくないようで評価されたい自分勝手な塊だ体。

私の文章に共感をする意図は、
はたまた読めることをやめたくなる人は変に心の中心をツンと動かなかった何かが揺れる気がして気持ちが悪いのだろう。

そこか動いて変わること、多分ないかを始めたりやめたりすることのきっかけになってしまうのだろうと思う。

いい方向に行けばいいがそれはそれまではわかりきれない。

責任も取れない。

ハッピーなことをできるだけ書きたい。でも現実も、貴社のように、受験生が机と距離がどんどんゴッツンコするほどでもなく現実とがんと向き合うのではなく、誰かとのふわっとした共感や理解者のために書きたい。

そこに希望や喜びがあるのならば。
まだ書き出しの私は、どこかでまた自分よがりに信じている。

そして絶望するときに書くのをやめるのだろう。

今後やめるという話はしない。発することで結構現実はそっちに傾くと知った。

だからかく。私は私を書き続けることを誓う。



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