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私のばあちゃん(和子)の話(1)自己紹介


今日もさえないお天気ですね。。低気圧な気候

体がいつも右斜め前に引きずり込まれ、否応なしに睡眠時間が伸びています。

こんなさっぱりしない天気には、破天荒なお話をと思いまして、
我が家のアイドル兼、問題児な75歳。和子のお話をしたいと思います。

ただのおばあちゃん?。見かけはそうかもしれません。
なんならオラウータンのような優しい笑顔に癒されてちまうかもしれません。

なんら普通のオラウータンではない彼女の人生は、何も残さずに死ぬのが惜しい、
「誰か。漫画家小説かける人はいないの?!」

「お医者様はいらっしゃいませんか?!」の勢いで、年末に親戚が集まった時には
そんな話になります。

私が親族の中で今時間があるのだと思うので、
上手く描けるかわかりませんが、みんなが書きたくて避けてきた話をここで公開しようと思います。

そんな前置きではさっぱりとしない和子という祖母の情報
和子の軽いプロフィールの紹介をしたいと思います。

和子:多分神奈川県で生まれた。
和子は、父型の母で、父がらみの話でも武勇伝は数多く存在する。

和子の父は知らないが、母から聞く話によると戦争で死んじゃったんじゃないかなと言っていた。

和子の母は、私が小学生くらいの時にはボケちゃってて、デイサービスなどは面倒がって行かずにいつも玄関に腰掛けていた。徘徊などはしなかったみたい。
最後まで正月にはプリンや餅、ビールまで飲む姿を見たことを覚えている。
「あれ食べたい」と小さな座椅子に座っていうもんだから、好きなもの食べさせたくて、ほい方あげていると、ひいばあちゃんをみてくれていた再従兄弟のお家のおばちゃんは
「あと(うんち)が大変なんだからあんまりあげないで!」
と注意された。安らかに最後は老衰した。

そんなひいばあちゃんの子供が私のあばあちゃん。父(雄一)のお母さんの和子。

元気な頃の和子とひいばあちゃんの話は知らなかったし、どんな風に育ったかも知らないが、元気な頃は自転車で、和子の勝手に家まで来て、和子の商売道具であるドレスやネックレス金になりそうなものは質屋に売り飛ばして、そのお金で
「和子!パチンコ一緒に行くぞ」
というような関係だったみたい。

ちなみに和子は自分でスナックを持っている。これでも個人事業主。
若い時にはだいぶモテたみたいで、なんとなく、今の時代でも持てる理由は分かる気がする。

スナックが一階で二階が自分の家なのだが、鍵はいつでも開けっ放し。
二階の自室には自分の若い時のブロマイドが白黒でしゃれた感じで飾ってある。

私の天使な弟は
「かずばあ綺麗だねこの写真」

というと
「ヤダもう。(照)」
これ、口癖。

あと
「いえいっ!」

も口癖。
観葉植物やメダカを育てている、インテリアなどはセンスも溢れている自分の居やすい場所の完成形って感じだ。
ああやって、歳をとったら幸せだろうなと思う自分勝手ぶりと、あの歳で毎日回転寿司や温泉を周る活動っぷりと豪遊ぶり。
そんな生活を送る和子は「今が一番幸せ」と口にする。

若い時も楽しくやってたんだろうなと思っていたけれど、
案外苦労人生だったらしい。

今年の7月。私がまだ病んでいる(?)時に熱海へ父の親孝行という名の
温泉旅行へ私たち孫も一緒に行った。もう死ぬんかというくらいいろんな話を聞いた。

写真も左から母、和子、父です。
ずいぶん幸せそうな顔をしていますが、顔は一応まだ生きているのでとっておこうかな
そんなこと言える関係の家族?です。

そんなことを今度は書いてみようかな。
次回、「私の旦那??何回も結婚したけど全員死んだよ!がはははは」

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